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痩せたら自己肯定感はつくのか

 今日はいつもの記事とは少し趣向を変えて、最近おうち時間を過ごす中で感じていたモヤモヤをまとめてみたいと思います。

※今回の記事は個人的見解に大きく偏った主張が展開されますので、文章の正誤性に関して保証しかねます。お気に召さない方は、こちらでブラウザバックをお願い致します。

美人は3日じゃ飽きない

 「自宅でトレーニング」という謳い文句、目にする機会が増えて参りました。体型維持・健康促進・自粛期間にダイエット……等々、利用する人々の目的は多様化しておりますが、確かに目新しい運動は暇潰しになります。気分転換にもなります。なので私自身、こういったブームを完全否定する気は毛頭ございません。

女性の食生活と如何様にも切り離すことのできない体型管理の4文字。食べる事が大好きな私にとって、長い間鬼門となっておりました。自己肯定感の影で根深く張られた体型へのコンプレックスは、簡単に払拭できるものではありません。

それは同時に、美人への憧れとも深く結びついているのです。

 私は、美男美女を眺めることがとても好きで、男女問わずアイドルやモデル、生まれ持った美を更に追求している方々に惹かれます。決して邪な考えではなく、整った御顔・よく手入れされた肌・強い意思により管理された肉体に、清廉潔白な美しさを感じるからです。余計なものを限りなくゼロまで取り払った美が、そこに在るからです。

 憧れの彼らに近づきたい、自分の努力で補えるモノなら手に入れたい。そんな願いを、誰しも一度は持ったことがあるのではないでしょうか。特に思春期など顕著に。

 美人は3日で飽きる、なんて言葉は嘘八百。この年齢まで美しいものに満ち足りた瞬間なんてありません。何故なら全てを自分が持ち獲ることなど有り得ないからです。万人が満たされない美への欲望を抱えています。だからこそ、女性にとって美人であるという事実は、人生観を根底から覆す力、趣味嗜好を完全に変えてしまう程の影響力を持っている。

もしテレビの中のあの人だったら、こんな服が着てみたい。髪型をこんな風にしたい。こんなメイクで出歩きたい。こんな所に行ってみたい。

これらの欲求は全て幻想です。今の貴方にだって全て可能なことなのに、美人というフィルタを挟んでしか見られない幻想。悲しいけれど、この分厚いフィルタを取っ払って、現実に行動出来る人間ばかりではないのです。

誰だって自分の容姿にどこかで見切りをつけ、妥協して、受け入れて、そこそこの努力で、今手にしている最低限の現状維持を図ります。大人になるってそういう事だと思ってます。それでも、たった3日程度では決して満足しない、無限の可能性の扉が、美人の向こう側には広がっているのです。

「女は愛嬌」の本質

 私は営業職時代、慕っていた上司に「年齢を重ね、若さという武器が消えた時、何も持っていない女にはなるな」と教えられ、以降その言葉を胸に大切にしまい社会人生活を送ってきました。

美人になれないのなら、清潔感と愛嬌を徹底的に鍛え上げろ。痩せている女はそれだけで清潔感がある。これは当時の私が自身に課したスローガンでありました。事実、その成果は確かな実績となって給与に還元されるようになります。

愛嬌、もといコミュニケーション能力と笑顔の鍛錬は、私の人生で大きな財産となりました。どんな場面であれ人間関係を円滑に育む需要は必ずあります。テクニックとして場作りを学べたあの時間には、感謝しかありません。

 そして体型管理の話題に戻ります。体重管理と健康とのバランスを取る為に大きな苦戦を強いられ、確かに痩せたのですが同時に健康も失いました。このバランス感覚に対する答えは、未だ見つけ出すことができておりません。やはり簡単には、正解を与えてはもらえないようです。

体重という自己評価基準は誰のためにある?

 体重が減るということは、自分の理想の姿に近づくことではありません。他人を見て創り出してしまった美人像に自身を当てはめていく作業でしかないのです。ですが、理想体型を手に入れることで、前述したような幻想の欲求の多くが、現実のものになります。それは自己肯定感に繋がるのではないでしょうか?

痩せる事は目的ではなくあくまで手段だという事を、忘れないで下さい。そして、美人≠痩せているという事実に早く気付いてください。

 美人が好きであればあるほど、綺麗なものを好めば好むほど、自己嫌悪が増す考え方・生き方は、決してオススメできません。私のように自らの首を理想の2文字で締め付け、快感を得たり逆境を喜ぶようなマゾ体質であれば、致し方ありませんが。

どのような道筋を辿ろうと、行き着く目的地が「なりたい自分になる」「Just be yourself.」であることを、全員が共通認識として持ち合わせる社会になればと願います。

ダラダラと続いた乱文にも関わらず、ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

Sora

読んで下さって、ありがとうございます。