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日本語のウィザードになりたい

日本語はその話者に囲まれて育てばマスターできる。生育過程で習得されるもんである。母語という意味では世界中の各言語とも同じ。

だが本当に使いこなせるレベルに至るには、なかなかにヘヴィな訓練がいるらしい。いわく、本にして千冊を読まないと日本語に精通しているとはいえぬ、というのだが。だいたいの場合、一般家庭にそこまでの本はないですよ。じゃあ図書館。大江健三郎は少年期に近所の図書館の本を全部読んだという。ああそうね、あの人ならね、とぼんやり頷ける話。

その大江健三郎もそうなんだが、誰にでもマスターできる言語をまじないのように紡げる人々がいる。マスターではなくウィザードというのか、彼らが書く日本語は情報伝達の手段というよりまじないに近い。言語の限界。意味の超越。

書店へ行けばお手本は山のようにある。手がかりがある。俺としては是非ウィザードになりたいですな。どれだけのまじないができるかの人生。

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