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小説は役に立つという話

 自分に発破をかけようとして力づけられる本を手元に置いている。保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』、筒井康隆『創作の極意と掟』、花村萬月『浄夜』、鯨統一郎『努力しないで作家になる方法』、ジョゼフ・キャンベル『神話の力』など。すべていい本だ。それらの他、息抜きのためにビッグイシューのバックナンバーをめくっている。

 タイトルの件。小説は人生の役に立つのかどうか、という昔からの議論があると思うんだが、とある本にこのようにあった。以下引用。

 文学作品は、しばしば、学術的な論文や著書よりも強く、激しく人を思考へと導く。なぜか? 補論で、思考は「不法侵入」の衝撃によって始まる、と述べた。個々の文学作品の具体性や特異性が、しばしば、作品を強烈な不法侵入者とする。優れた文学作品に震撼するところがない者は、そもそも、思考を開始することもあるまい。文学作品は、思考の最も豊かな源泉である。

大澤真幸『考えるということ』

 ここでの不法侵入とはジル・ドゥルーズが喩えた言葉で、「人間を考えさせる外部からのショック」のことだそう。ショックを受けて初めて思考が開始される、そのショックは文学作品によって最も強く読者に与えられる、そんなような話。

 ひとことでいえば、文学はものを考えるためには有用なんだろうというところ。ここに文学の価値が定められていたのだった。世の中の誰でも、考えたい者が文学を手に取って、震え、おののき、喝采し、あるいは涙してその書を閉じる。読んでいるときの、または読み終えたあとの思考のエネルギー量たるや、恐るべきものであろう。

 そうしたところへ、悲しいことだが、本は読まれない。本のうちでも小説はさらに読者が少ない。みんなが見ているのはツイッターである。あるいはサブスクのドラマである。この劣勢において何をどう書けばいいのかわからんが、まあ、がんばるだけだな。

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