国立競技場にいる勝利の女神ニケとライブエイド(1985年ウェンブリースタジアム)のマークが似たように見える時がある。 勝利、勝ち負けにこだわる必要はないが、人は時に何かに勝ちたいという衝動に駆られる。本当の意味での勝利とはなんだろう。 地球を楽しみに生まれてきた中で’We are the champions!’という感情を教えてくれたフレディ・マーキュリー。みんな既に優勝者だよ、と。 特に自分に打ち克つときは表面的な楽しさではなく本質的な楽しさを感じたことはない
神様は素直な人間、私たちの本当の感情を見ている。それを大切にしよう。 無理やり作ったポジティブは偽物の感情。 もっと自分の心の声に耳を澄ませていいはずだ。自分の感情を丁寧に見つめ、良いことがあった時、怒りを感じた時、いつの間にかそれぞれを雑にまとめる癖がついていないだろうか。 そんなまとめ方、よくよく考えたら愛すべき自分に対する暴力に近い。ここ数百年間の人類が作ったダサダサのフィクションに過ぎないのではないか?もっと堂々と自由に生きていい。
紐解く、解くが自由へのキーワード。自由意志による行動の時代に入っている。 その頃から海外へは旅をしていた。 1997年頃大学にて卒論というものがあった。 ‘不動産金融の証券化’というテーマを経て1998年から不動産会社へ。26年間海外へショートトリップしながら時は平成、令和と流れている。 最近ロングタームで過去を振り返ることが増えてきたが、就職という体験をすることで見てきた短い期間の振り返りをすると、金融というテーマで世界を見ることになる。その中で整理し、今感じることは
安っぽい、作られたような幸せで幸せになろうとすることに関してはもう明らかに見極める。 それよりも今ある事を受け入れ、今あることに気がつくという事が幸せなんだ、ということに気がつく時だ。 どっちがいいよとか、これやるといいよとかではない。 波乱、混乱の中でも、今ここにいることが自由であり幸せである。そのことに気がつき始めるとき。質が違う本当の喜びや幸せを感じることができる時。 何が嫌だ、あれが合わない、あの人が嫌だ、あの会社が嫌だ、というのは外に目が向いている。外からの
太陽は完全に近い玉の球体をしていると言われているが、地球は海の水を抜いたら凸凹した歪な球体をしているらしい。 それこそが、その歪な形それこそが愛おしいと感じはしないだろうか。ボコボコした球体の方が愛情を感じるはずだ。不思議とそんな感情が歪に見える物に込み上げてくるはずだ。 月もクレーターでデコボコしているそうだ。それはそれは人間も不完全で、愛すべき愛おしい姿だと思う。もちろん自分も含めてだ。完璧を装うような人間こそ人気は無い。 完璧ではなく不完全であるからこそ成長
‘やってきたことは全てやりたかったこと’ そのように割り切ることでいらない悩みはなくなる。楽しんでやっていれば、それは苦ではない。楽しんでやっていれば結果は出なくても良い、とする。 常に’やりたくてやっている’ということにする。嫌々お金を稼いでいる時も、’やりたかったことをやっている’ということに強制的にする。やりたくなかったことをやっている事にしてしまうと’残念’となり、念が残って終わる。 事象や物事はいつも、ただ目の前に現出している。それにそれぞれがどう意味付けす
青空のもと緑が深まる中、緩やかに風が吹く。 12年ぶりに社会的な豊かさや発展的な星、木星が双子座に入っている。 この双子座的性質がこの1年必要でこの視点がないと発展はないと言える。 双子座は出世に興味がなく、緊張からくる収入やお金を必要以上に得ることや、場の空気が澱むことを嫌う。組織に入れば上司的存在から逃げたくなりその上で退屈が苦手。 だからお金持ちなどではなく伸び伸び旅することを幸福と感じる。'take it easy'を地で行き気楽に歌心や旅心を生きがいにしている。
道(レール)を踏み外したくないと思いたがるが、道なんかそもそもない。 それやってる限り恐れからの余計な不安という決して触れることのできないものを感じ、時に人は外部の目に見えないもの;例えば’神的なもの’に依存してしまう。歴史を見ればそれらフィクションに気がつく。 外側の情報にコントロールされた状態が依存。神社に行っても奥には鏡がある。 先祖代々’自分を見てみろ’と言っている。正解はなく答えがあるとすれば外にはなく、自分の中にあるということかもしれない。 答えは自分
共振しない限り、現象は起きない。 微細な共振でぶれない人になろう。 人は苦楽を避けられない。どう苦を受け入れるか。受け入れたとき、人はブレない。 微細な振動が大きなものを育ててくれる。 言い換えれば人生は幸福の連続ではない。 そして幸運の連続それ自体は宝物ではない。 苦楽をどう受け入れるかが、人間の価値につながる。受け入れると磨かれていくから。 そうすると苦楽はあるが、怖いものがなくなる。怖いものが来たとき素直に怖いと言える人は強い。 今は素直な姿勢で改
お金は使い方や捉え方により競争から来る格差や、不安を生む負の側面があり、ドルの様に不安から増やし過ぎると、’インフレ’としてお金の価値は下がる仕組み。 しかしお金を便利な道具として理解している人がいる限り、ドルや米国債の乱高下や混沌はあっても金融崩壊という名の社会崩壊は起こらない。 元々人類は物々交換で価値交換をやっていた。お金という概念は元々なかったことを思い出し始めている。 だからある一定の貨幣を刷り続ける様な不自然な状態は続かない。自然な形に戻るだけで、そんな時期
若い頃の旅人へ言いたいのは、お金が無くても心まで貧乏になるな。中年の旅人へは、お金があってもいつのまにか心が貧しくなっていないだろうか、確認して欲しい。 正しいとか間違いとか、良いとか悪いといったジャッジは二元論に行きつき対立させる構造を生んで来たが、実は誰かが作った’正解’というものは存在しない。 究極は戦争まで行くこの二元論。戦争の原因はこのニ元論だった。 外から入ってくる情報に依存するのではなく、自分の内側にある和を尊んでいた事を思い出し、ほんとうの豊かさを
全ての素粒子は波。波は波及するので一人一人の想いが小さい、大きいは無い。だから自分の意思を通し、無理に行動しなくても良い。それよりも言葉の粒度を上げて一人一人が使い出すようになると解像度が上がり現実をクリアにイメージ出来る。そうすると想念が現実化するスピードも上がり、希望につながる。個のカを信じよう。 ‥お金をじゃぶじゃぶ刷り、欲望のまま肥大化し、物質的なものを求めた方向に経済は向かった。戦後資本主義の権化であるバンガード、ブラックロック、ステートストリートなどの大企業の株
この前まで葉は無かった古来からある巨木に見事な新緑が美しい。 これまで権威、こうしなきゃいけない、とかしちめんどくさいことがたくさんあった。 自分は権威を恐れ、無意識のうちに権威をどこか求めていたところがある。その権威に認められれば、箔がつくのかと錯覚していた様な状態だった。またそれを目指さなければいけないと言う様な縛りがあった様な気がする。 そろそろ、それが無くなる。 これまで権威づけてきた存在、機構が力を失って行く。 なぜか。 それは生き方、好み、様々な思いがみん
競う事や争う事、競争について考えていた。ここ数年は特に違和感を感じていた。昭和の時代では幼少の頃から’かけっこ’で順位を競う教育を受けた。しかし人には競争を好まない穏やかなタイプと、競争が無いと生きていけないバトル好きなタイプが今の世界には共存している。 縄文時代の武器らしきものは出土されず、争いの痕跡はなかったという。今、日本人はその様な世界を思い出せ、いや、忘れたとは言わせない、言われている。 大多数が競争を好まない穏やかなタイプ。バトルがないと生きていけないタイプ
音楽で素晴らしい気分になれる。 自分の好きなことをやり、いい影響を他人に与えながら地球を楽しむ。 太陽は完璧に近い丸い形をしているらしい。 青い地球も今でこそランドサットから見れば丸く見えるが実は豊かな海洋の水が無ければいびつで、でこぼこな形をしているという。 でもそんないびつな形をしている地球が大好きだ。人もいびつで完璧な人なんておらず、それぞれ歪んだいびつな形をしている。 人は本能的に好き嫌いがあるがそれを表に出していいことはない。愚痴を言ったり悪口、欲望を赤裸々に
暖かい日に突如空気が冷え、次第に祈りの春分の日に鳴り響く暴風と雷。そこから連想するのは大きく価値観が変容する時の’破壊と再生’だ。まさにタロットカードのタワーの状態。空気中の氣がぶつかり合い分子が激しく動いている感覚。 それは会話やコミュニケーションをしている時に発生する。意思を感じる。何か怒りの感情が込み上げてくる時に雷が落ちる。突風でロールカーテンと花瓶が衝突し割れる。古い価値観に指示されたPCのフォルダは開かない。 変わる時、雷は落ち、終止符が打たれる。そして新しく