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水芭蕉

薄すぎる、生まれたての三日月が通り過ぎる夜だった。君は左手に水の入ったバケツ、わたしは右手に花火を持って二人で真っ暗な砂浜の上を歩く。足元には、さらさらと時間のように流れて来たきなり色の砂が所狭しと敷き詰められている。それは、不和の中に円満を携えたような不思議な整列だった。

二人でしゃがんで、持ってきた花火の封をあける。暗くて何も見えなかったけれど、その中から適当に見繕った花火二本を片手に一本ずつ持って、火をつけようと先端をロウソクに近づけた。数秒後にあたりがパッと明るくなった時、花火の向こう側に君の顔が見えたの。あの時、君が笑っていたのが何より嬉しかった。

暗い砂浜で光が消えてしまうのが寂しくて、わたしたちは次々に火をつけた。いつだって、なんだってそう。楽しい時間は一瞬で終わってしまう。当然のことながら、あんなにたくさんあった花火は目に見えて減っていき、代わりに、水の入ったバケツの中では煤だらけの花火たちが居場所を見つけて悠々と泳ぎ始める。そんな中でまだ燃えている花火がどこか寂しげで、ひときわ綺麗だった。

最後まで残した線香花火は家に持って帰ってすることになった。そのおかげで帰り道も寂しくなかった。君の左手には少しだけ重量の増したバケツ、そしてわたしの右手にはほとんどからになったビニール袋を携えて、二人で来た道を戻っていく。街灯の下まで歩いた頃、後ろの方から名前を呼ばれたので振り返ると、カメラを持った君が見えるのと同時にシャッターが切られた。辺りにはフィルムカメラの巻き戻し音と、わたしたち二人の笑い声だけが響いていて、それはさながら、可視化した幸せだったとわたしは思うの。




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