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2023年12月 読書記録

 あけましておめでとうございます。
 元旦の地震、大丈夫でしたか。もちろん、被災地の方々はnoteどころではありませんが、石川や富山以外でも余震の揺れが続き、怖い思いをしている方々がいらっしゃるようです。どうか無理をなさらずにお過ごし下さい。


 さて、先月読んだ本、プルースト『失われた時を求めて』は先に記事を投稿しました。また、リディア・デイヴィス『話の終わり』は後で感想を書く予定です。

志賀直哉『暗夜行路』(講談社文庫)

 作者唯一の長編。メインテーマはフィクションですが、主人公は作者そっくりだし、内容的にも作者の経験が取り入れられているようです。
 なんか、ほぼ自分のことしか書けない(書きたくない)のか。ナルシスト? 短編集の感想にも書きましたが、相当変人な作者の自画像を受け入れられれば、この長編も面白いと思えるし、そうでなければ、退屈な違和感と共にある作品になってしまうでしょう。
 私は、実生活でも変わった男性が好きなので、「どんだけわがままなんだ」とツッコミを入れながら、結構楽しく読めました。

 ただし、この小説のメインテーマは「不貞を働いた妻を許せるか?」だと思っていたんですね。新潮文庫の紹介にも「いとこと過ちを犯す」と書いてありますし。
 でも、読んでみると、「いとこにレイプされた妻」なんですよね。
 例えば『源氏物語』を現代的に読んで、フェミニズム的にレイプ小説などと批判するのには反対です。なので、『暗夜行路』がレイプを妻の過ちとして扱っていること自体は、そういう時代だったんだなと思うだけです。
 でも、現実に戻ってみると、『暗夜行路』は大正10年〜昭和12年に書かれた小説なんですね。そんなに古い話ではありません。その時代に生まれた人たち、その時代に生きた人たちを親や教師とした人たちの中には、今も戦前の考え方に馴染んでいる人がいるのかもしれません。今でも、知人からのレイプは犯罪と認められない率が高いと聞きますし(最近法律が変わったので、この状況も大きく変わると思いますが)、レイプの告発があるたびに「本当に嫌だったら、全力で拒んだはず」などと主張する人たちがいます。『暗夜行路』を読んで、そうした意見の源となるものを垣間見た気がします…。

チェーホフ『ヴェローチカ/六号室』(浦雅春訳・光文社古典新訳文庫)

 チェーホフは短編集が文庫で出ると必ず買うぐらいに好きな作家なのですが、この短編集に収録された作品は、これまでのイメージと違うものが多かったです。
 これまでは、乾いた笑いとうっすらとした悲しみがチェーホフの短編の特徴だと思っていました。悲しみよりも笑いの占める比重の方が大きく、また、悲しみも憂鬱なものではなく、心地良く読める程度の悲しみでした。
 でも、この短編集は救いがない苦しみや閉塞感が感じられました。一瞬、「これはカフカの小説?」と思ってしまう箇所まであって。こういうチェーホフも悪くないなと思いました。他の短編集のように、手元に置いて何となく拾い読みするような読み方はできないけれど。

井原西鶴『好色一代男』(中嶋隆訳・光文社古典新訳文庫)

 中学か高校の国語の授業で西鶴の『世間胸算用』だったか? を読みました。面白かったですが、続けて読んでみようとは思わず。その次に読んだのは、青空文庫に入っていた『本朝二十不孝』の抜粋(宮本百合子訳)。これは躍動感のある短い話の中に、人間というものの本質が感じられる佳作でした。もっと読んでみたいと思っていたところに、光文社から新訳が出たので購入しました。
 『好色一代男』には8巻54作の短編が収録されています。前半は、浮世之介という女好きでモテもした男性の女遍歴が書かれています。ありそうもない大袈裟な話も多いのですが、どれも楽しく読めました。後半は遊郭の女たちの列伝になっています。金で男と寝る職業であっても、その中でも張りやまことを失わない女たちもいる。日本の近代小説にも、歓楽街の女たちはよく登場しますよね。特に、永井荷風や徳田秋声の小説に登場する女性は、この小説に出てくる女たちとよく似ていると思いました。『暗夜行路』を読んで感じたこともそうですが、戦前の男女関係は、現代よりも江戸時代に近かったのかもしれないですね。

鹿島茂『デパートの誕生』(講談社学術文庫)

 デパートはアメリカで誕生しただろうと勝手に思っていたのですが、パリが起源なんですね。バルザック(1799〜1850年)の小説には当時の経済活動が書かれた作品が多いのですが、物を売る話に登場するのは家族経営の個人商店です。
 バルザックの死後しばらくして、『デパートの誕生』で書かれるボン・マルシェ百貨店が誕生します。
 小説でも映画でも、新しい産業が生まれる瞬間を描いた話って、夢と高揚感があって楽しいですよね(『ソーシャル・ネットワーク』みたいにドロドロ感が目立つ話もありますが)。この作品は実話なので、フィクション以上に引き込まれました。19世紀の話なのに、私がデパートでバイトしていた頃と商習慣がそんなに変わっていないのも興味深い。デパートの中でも平場とか(テナントではなく、自社の社員が運営する売場)、あとは現場の販売員が仕入れも担当するということで東急ハンズなんかにも似ている気がします。大量仕入れで安く売るというのは、チェーンストアに引き継がれていますし。
 今の百貨店業界の、昔と変わらない部分、変わるべきなのに何となく引きずっている部分、基本に立ち返るべき部分。そんなことが見えてくるアクチュアルな本でした。
 

芥川龍之介『侏儒の言葉』〜『続・西方の人』

 青空文庫では、芥川龍之介の晩年の小説をまとめて再読しました。『河童』や『歯車』の印象が強いので、自死に向かう日々の作品と思ってしまいがちです。実際に、この二作以外でも死に関係する作品も多いですし、自分の生涯を回想したり(『大導寺信輔の半生』)、キリストの伝記を書いたりという行為も(『西方の人』『続・西方の人』)つい作者の最期と結びつけたくなります。
 でも、晩年の作品を発表順に読むと、『玄鶴山房』や『蜃気楼』『浅草公園』など、新たな手法にチャレンジしている作品もあるんですね。同じ頃に芥川は『文芸的な、余りに文芸的な』という評論を書き、ストーリーに依存する小説に疑問を呈していますが、自分でも話らしい話のない小説を書こうとしているのです。
 この時期の芥川はただ自殺に向かって進んでいただけでなく、別の可能性もあったのだ、と感じました。


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