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夏目漱石の全小説を読み終えて その2 英文学と漱石

 作家としての夏目漱石に影響を与えたのは、江戸期の文学と留学先だった英国の文学だとよく言われます。
 漢詩や落語も含む江戸文学については、全く知識がないので、「『虞美人草』の勧善懲悪風のストーリーは江戸文学の影響だろう」程度のことしかわからないのですが、私のホームグラウンドである(と勝手に思っている)英国文学の影響について感じたことを少し書いてみます。



 世界各国の小説を読んでみて思うのは、英国の小説は、読みやすいものが多いということです。一部の難関作家を除けば、わかりやすい文章、物語性のあるストーリー、キャラの立つ登場人物が柱になっているので、楽しみのために本を読みたい人(私もその一人)向けの文学だなあと思うのです。
 また、笑いやユーモアにあふれた作品が多いのも、英文学の特徴です。シェークスピアを生んだ国ですから、文学が真面目でストイックなものでなければならないとは見なされていないのでしょうね。

 英文学のそうした特徴は、漱石の作品に大きな影響を与えている気がします。初期の作品は、明るくユーモアに満ちたものが多いですし、物語や登場人物の性格描写を重視する姿勢は漱石の創作活動全般に見られます。
 漱石が国民的な人気を誇る、文豪の中でも別格の存在であるのは、英文学の影響による部分も大きいのではないでしょうか。

 漱石の最初の小説、『吾輩は猫である』に影響を与えたとされるのが、18世紀前半に活躍した英国人作家、ローレンス・スターンの『トリストラム・シャンディ』です。
 漱石はスターンがお気に入りだったようで、彼を紹介する文章を書いています。「どこが頭で尻尾かわからない、海鼠の化物みたいな作品」という部分が有名ですが、現代の読者にとっては、誰かのブログを読むのと同じ感覚で読める小説です。トリストラムの生涯を述べる作品のはずなのに、本人ではなく、父親や叔父の昔の話をしたり、作者の意見や雑談が長々と書かれたり。まとまった筋がなく、飼い猫が語り手をつとめる『吾輩』は、『トリストラム』を漱石流にアレンジした作品と言えそうです(『草枕』にも、『トリストラム』に触れた箇所があります)。
 スターンは、主人公がいて、出来事が時系列で語られるといった近代文学の約束事がまだ確立していない時期に小説を書いています。
 漱石は、日本が近代化を目指していた時代に英国留学をしたのに、スターンのような近代という概念から逸脱した作家にシンパシーを抱いたわけです。そこが漱石の面白いところであり、作風の幅広さにもつながっている気がします。

 ネットで見かけたのですが、作家の丸谷才一さんは、『坊ちゃん』がスターンと同時期に活躍した作家、ヘンリー・フィールディングの『トム・ジョーンズ』に影響を受けているとおっしゃっていたそうです。
 『坊ちゃん』がごく短い期間の話であるのに対して、『トム』の方は英国流の教養小説(主人の精神的な成長を描いた小説)という違いはあるものの、トムと坊ちゃんには、親の愛を知らずに育ったこと(トムは孤児、坊ちゃんは精神的な孤児)、善良だけど手が先に出やすい性格であることなど、似た設定が多々あります。派手にやらかして、全てを失ってしまうのも同じです。
 フィールディングの小説を読むと、荒削りで、未熟な部分もあるものの、まだ完成していないものが持つエネルギーや爽快感を味わうことができます。スターンとはまた別の意味で、近代的な小説の枠にはまらない作品なんですね。
 『吾輩』に引き続き、近代文学ではないものをお手本にするなんて、この時期の漱石は、近代という概念に相当懐疑的だったのかもしれません。

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 とはいえ、スターンのような異端の作家を評価する一方で、漱石は英国近代文学を代表する作家であるジェーン・オースティンのことも高く評価しています。『明暗』の感想にも書きましたが、則天去私を表す作家として、オースティンを挙げているほどです。 
 漱石の前期三部作『三四郎』『それから』『門』は三作とも、主人公の生涯のある時期を切り取って描いた三人称の小説なので、オースティンの作品をはじめとする19世紀前半〜中期に多く書かれた小説の系譜につながると考えていいでしょう。

 そこから、19世紀中期〜後半に主流となった、視点人物が大勢いる群像劇タイプの小説や作中で扱う期間が長期に渡る大河小説などに発展する可能性もあったと思いますが、漱石はその道を選ばず、後期三部作では、テーマや登場人物が重なる短編をいくつかまとめて一つの長編小説にするという新たな挑戦をしています。
 短編をまとめて一つの長編にするという形式は、漱石が愛読したR・L・スティーヴンソン(『宝島』の作者)の『新アラビア夜話』に触発されたのかもしれません。三部作の一作目、『彼岸過迄』は、登場人物の一人がこの小説に憧れているという話から始まり、この小説の内容をなぞるような幻想的なエピソードが描かれます。
 ただし、似ているのはそこまでで、中盤以降は、一気に普段の漱石の現実的な物語に戻るのですが。スティーヴンソンもまた、英文学の中では異色の作家だと思うので、ここにも漱石の近代からの逸脱傾向が表れている気がします。

 漱石の最後の作品、『明暗』に関しては、中村真一郎さんが『この百年の小説』で、ヘンリー・ジェイムズの影響を指摘なさっていました。というか、ジェイムズの『使者たち』『鳩の翼』等の心理主義小説と『明暗』を読んだ人なら誰でも、凡人の心理描写をこれでもかというぐらいに畳みかけてくる作風がよく似ていると感じるはずです。私自身、中村さんの評論を読む前に、漱石とジェイムズの関係をネットで調べました。ただ、ネットで調べた限りでは、さすがの漱石もジェイムズの難解すぎる文章には匙を投げたといった話しか見当たらなかったので、『明暗』にジェイムズの影響があるのかどうか不明です。
 漱石が日本語訳でも難しいジェイムズの作品を理解して自分の小説に取り入れていたのだとしたら、すごいことだし、ジェイムズとは関係なく、心理主義的な作品を独自に生み出したのなら、もっとすごいことです。

 英文学との関係を追ってみて、漱石という作家の幅広さを更に実感しました。大好きな英文学のことなのでつい長くなってしまいましたが、読んで下さってありがとうございます。漱石に影響を与えた英文学も、ぜひ読んでみて下さい。どれも文庫で手軽に読むことができます。
 


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