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お猿が教えてくれたこと 村上春樹「品川猿」 【読書感想文】

 村上春樹さんの短編集『東京奇譚集』に収録されている「品川猿」は、非リアリズム要素のある作品です(「奇譚集」とタイトルにあるように、この短編集の収録作は、濃淡はあれど、どれも非リアリズム要素が含まれます)。

 個人的に、超現実的な設定がある小説や映画が大好きです。この世には、リアリズムだけでは描けないもの、描くのが難しいもの、見えにくいもの…がたくさんあると思うので。CGで何でも表現できる映画と比べると、小説で同じことをするのは大変そうですが。文章だけで、この世に存在しないものにリアリティーを与えなければならないのですから。

 嘘っぽい作品が苦手ーーというと、小説や映画なんて、そもそも嘘の話では? と思われるかもしれませんが、フィクションであることと、嘘が透けて見えることは別物だと思います。
 村上さんの小説は、超現実的なことを書いているのに、違和感がないです。平易な文章の裏で、超絶技巧が凝らされているんでしょうね。



 「品川猿」では、お猿がやらかしたことがきっかけで、主人公と、主人公の後輩、二人の若い女性が抱える闇があぶり出されることになります。
 かなり重い話なので、リアリズム文学で読んだら、気が滅入って仕方なかったかも。猿が登場するおかげで、憂鬱なムードが和らぐだけでなく、彼女達が抱えていたものに感情移入しやすくなっている気がします。

 「品川猿」でより気になったのは、主人公の闇ではなく、主人公の後輩が抱えていた闇の方でした。
 後輩は、主人公に嫉妬という感情を経験したことがあるか訊ねるんですね。
 主人公は、そうした感情に心当たりがない。そして、後輩が嫉妬という感情に苦しめられていると知って、驚くのです。なぜなら、後輩は、美人で金持ち、成績も良く、人気者。両親にも愛され、ハンサムなボーイフレンドもいるという…これ以上何を望むのだ? と主人公でなくても言いたくなるような子なので。
 でも、後輩は、嫉妬という気持ちは、客観的な条件とは関係がなく、理屈抜きで広がるものだと説明するのです。まるで、自分の中に小さな地獄を抱え込んでいるようなものだとも。

 この部分を読んだ時、自分が全く知らない世界を覗いた気がしました。
 嫉妬という感情があるのは知っていますし、だいたいどんなものかもわかっているつもりでした。
 でも…主人公と同じで、私も嫉妬という感情を経験したことがないんですね。
 自分で言うのも何ですが、私はダメな部分や苦手なことがとても多い方です。特に、高校時代(主人公が嫉妬の話を後輩に聞いたのと同じ時期)は、自分のダメっぷりに呆れ果てることも多かったです。

 自虐ついでに「美人で金持ち、成績も良く、人気者。両親にも愛され、ハンサムなボーイフレンドもいる」という後輩と比べてみると、高校時代の私は、不美人、貧乏…これは、前に少し書きましたが、私の母が適当な思いつきで娘の生き方を決めてしまう人なので、ロウワーミドルのサラリーマンの娘なのに、お金持ち私立学校に通っていて。道明寺や花沢との恋愛抜きの『花より男子』の世界にいたと考えて下さい。そんな環境なので、自分が実際よりも遥かに貧乏だと感じていました。成績は良かったですが、大学の付属校だったためか、成績なんて無価値という謎の価値観が蔓延していましたし、過干渉な母親との関係にも疲れ果てていました。もちろんボーイフレンドなんていないですし、それなのに何故か何度も変わった男子に好かれて無駄に注目を浴びてしまう…。
 こう書いてみて、よくまあ、あの時期を乗り越えられたなとちょっと感動しました。問題を抱えすぎていたので、他人と比較するような余裕がなく、かえって良かったのかもしれません。色んな面で私より優れている人を見ても、「いいなー」と軽く思う程度で済んでいました。

 もちろん、嫉妬心の強い人に遭遇したことは多々あり、それが他人に向けられたものであれ、私自身に向けられたものであれ、憂鬱になったものです。
 つまり、嫉妬する心は、私にとって、「外にあらわれて他人を嫌な気持ちにさせる厄介なもの」だったのです。嫉妬心が内に巣食って、その人の心を蝕んでいくものだとは、考えたことがありませんでした(『源氏物語』に出てくる六条御息所のように、男女関係での嫉妬がその人を蝕むということなら、わかりますが)。

 これまで考えたことがなかったのに、この「品川猿」を読んで、嫉妬心が人を蝕む様が一気に腑に落ちました。
 以前感想文に書きましたが、村上さんの短編小説「イエスタデイ」を読んだ時には、主人公の回想と自分の過去が響き合い、昔の友人たちが目の前に現れたかのようでした。
 でも、「品川猿」の場合、過去が再構成され、昔の友人たちの別の顔を知ることになったのです。もちろん、新たに気付いた顔が正しいとは限りませんが、過去とは所詮、現在の映し鏡でしかないのですから。

 村上さんの小説には、若くして自ら命を絶った人がよく登場します。幸い、私の身近には十代〜二十代で自殺した人はいませんが、鬱や適応障害などでそれまでの生活からドロップアウトした人は大勢いました。
 (社会人になってからは、仕事が理由の鬱or適応障害が多かったので、ここでは学生時代の話に絞ります)。
 最初のうちは、姿を見せなくなった人を心配して電話をかけたりしていましたが、芸術家(作家・俳優など)志望者の多い環境だったせいか、気軽にいなくなる人も多くて。問題があって休んでいるのか、何となく休んでいるのか区別がつかず、全部まとめて気にするのをやめました。
 結果、後から◯◯さん、鬱で休学したらしいよといった話を聞くことになるわけです。あんなに輝いて見える人が、どうして鬱に…と不思議に思ったものですが、彼女たちも「品川猿」の後輩のように、私には思いもよらない闇を抱えていたのかもしれません。第三者の目で見れば、羨ましがられこそすれ、深刻に悩むことなど何一つないように思える人たちでしたから、「客観的な条件とは関係なく、理屈抜きで広がる」嫉妬という地獄を抱えていたと考えると、説明がつきます。嫉妬でなくても、現実とは関係なく、彼女たちの内側で生み出された感情に苦しんでいたのは間違いないでしょう。
 彼女たちの闇に気付いたところで、私にできることは何もなかったと思いますが、当時の私が何とも幼く、自分の延長線でしか世界を見ていなかったことがよくわかりました。



 
 
 


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