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完久朗マインド

初めに
この文章を書こうと思ったきっかけは、自分の所属しているバンドサークルの元幹事長で尊敬している先輩とサシで話した時に、その先輩が聞いた噂に自分のことを誤解している人が多いなと言う印象を受けたので、その誤解している人たちに噂だけで判断しないでほしいと言う気持ちを持ち、書いています。また、この文章は今後俺が生きていく上で、大きくは変わらないだろうと言う、自分の中の考えの根幹なので、ここに記しておこうかなと思い、それがさらに書きたい欲を掻き立てたので書きます。

何に幸せを感じるのか
自分はここ2ヶ月、いろんな初めてを経験しました。例えば、大学入学もそうだし、一人暮らしもそうだし、サークル活動もそうだし、外部ライブもそうだし、自分の価値観が大きく変わることも経験しました。
そんななかで、自分の通っている大学である早稲田の人々と毎日のように深い話をして、腹割って話して、いろーんな価値観を知り、いろーんな人がいると言うことを知りました。めっちゃくちゃ色々考えてて考えが大人の人もいれば、逆に考えるのに疲れて思考を止めてわざと子供をしている人もいました。
そんないろんな人々の感性を受け入れて取り込んでいく中で、自分の幸せとはなんなのかについて考えるようになりました。
色々考えた中で1番自分で納得したものが、自分の幸せの考え方は、

"中心にあるのは自分の幸せ。だが、自分の幸せは周りの幸せで成り立っているため、周りの幸せが自分の幸せ"

例えば、自分はお金持ちで妻子に恵まれ人間関係も良好で客観的にみて幸せの絶頂だったとしても、自分の周りがみんな不幸だったらそれを俺は幸せだとは思わない。
だから、自分は周りにどんどん奉仕するし、それで人がありがとうとか、笑顔になってくれるとかでいくらでも頑張れるんだ。


人を見下す人は、良くない
これは本当にそのままで、自分はしょっちゅう語気が強くなったり、討論してると口が悪くなったり、ぶっちゃけると人に○○はガキとか言っちゃったりしてた(そう言う自分がガキでした。)んですが、だからと言って人を見下してるわけではなくて、その人の一部分についてただそれを言っただけであって、全てを否定してるわけではないんです。なんなら否定もしてなくて、それを直した方がこの人はさらに素敵で幸せになれるのになって思って、その人の幸せを願って言ってるんです。
例えば、寝坊ばかりする人がいたら、その人が社会に出た時にそれは損ばかりになってしまうから、それは不幸だから、その人に俺が少し言うだけで、俺が少し悪役になるだけでその人が幸せになれるなら全然言いますね。それが大先輩でも、大人でも、どんな偉人でも。
人を差別することは大嫌いなので(区別はします。)。
また、人を見下してしまう人は、やはりその相手に対して心を開くことが難しくなってしまうと自分は思っていて、どこかで鬱憤が溜まって爆発してしまうと思っているんです。それがなにに対して鬱憤が溜まるのかも、爆発するのかも、人それぞれで分からないですがね。
自分で自覚がある方は、少しずつ相手を信じてみるとか、周りに相談するとか、完久朗に相談すればいいと思います!

怖いものがない
自分は、これは調子に乗っているわけではなく、全然信じてもらわなくてもいいんですが、1聞いたら100分かるくらい理解力があると自負していて、そんな自分だからこそ、理解できないことがほぼないんです(絶対これ理解できないよってのがあったらコメントしてほしい)。
人間は理解できない事象や、理解できない事柄に恐怖を覚え、怖くなると思っていて、だからこそ自分は怖いものがないんです。
以前自分は肝試しが嫌いでした。なんで嫌いなんだろうって考えた時に、あの時はお化けが怖いって言ってましたが、そうじゃないと気づきました。
お化けが怖いんじゃなく、お化けが自分に取り憑いた時に、どんな行動を自分が周囲にしてしまうのかが分からない、理解できないのが怖いんだなと。
前までは大人がすっごい怖くて、喋ると少し相手が大きく見えて喋ってましたが、大人も子供も同じで、なんなら年齢が上がっても全然子供な人はいて、じゃあ怖がってるの意味なくねとなって、今はもう全く緊張しなくなりました。
大勢の前での発表もそうです。以前はめっちゃ手汗かいて冷や汗かいてびたびたでしたが、いま、俺をみてる人はみんな俺のことをこう思ってるなとかがだいたい理解できるようになったから、緊張しなくなりました。
この考えはおすすめです。緊張しいな人は、その場面場面で緊張する要因とその要因がどんなことを考えているのかを、理解しようとすると緊張しいも徐々に治ると思います。(もし治らなかったらコメントで俺に言ってください)
また、これを応用して、相手に怖がってほしいとか、話しかけないでほしいとか思ってる人(特に女性だと、ナンパされたくないとか、夜道1人で歩くのは人に襲われそうで怖いとか)は、相手に理解されない状況を作り出せばいいんです。
例えば、👊を上に突き出してズンズン歩いてる人がいたらそれに対してナンパしようとはほとんどの人が思いませんよね(面白がってくる人はいるかもですが)?
例えば、夜道で携帯で電話せずとも耳に携帯をつけて、電話してる感を出して「宇宙人はいるに決まってるだろ!私は林と佐々木と一緒に見て、それを捕まえて家で食べたんだ!」とか言ってたら、誰も襲いませんよね?
こんな感じでこの話は終わりましょうか笑

お金について
結論から先に言うと、自分はお金は死んだら天国に持っていけないと言う考えを持っています(自分が天国に行くか地獄に行くか、はたまたそれらはあるのか、はおいといて)。だからこそ、最近はどんどん人に奢ってしまって
お金がどんどんなくなるんですけど、それももはやどうせ稼げばいいかなーとか、0円で三日くらい過ごせたしなーとか言う経験からお金がなくなるのが怖くないんです。
ただ、自分は将来世界を救うつもりでいて、そのためにはお金が絶対的に必要になると思っているので、超大金持ちになるつもりでいます。前までは周囲(最低限家族くらいは)を幸せにできるくらいだけ稼いで、あとは日本から搾取しなくていいかなと思っていたんですが、それだと今の、大企業ら金持ちがお金を牛耳って世界を牛耳って、他の人々が苦しい思いをすると言う現状が全く変わらないので、俺は世界を救うために、搾取し尽くして俺が分配する方法を取ろうと思います。これにはたっくさんの反対意見が出ると思います。例えば、もしお前が何かのきっかけでマインドコントロールでもされて、乗っ取られてその権利を別の奴が持ってそいつが王政みたいなのを始めてしまったらどうするんだ!とか。
これについてはまだ自分も反対意見がそんなに深まっていないので、今後深めてお話ししようと思います。
ただ、今自分は自分の、自分にしか分からないアビリティなども加味した上でこれがベストだと思うので、そのエビデンスを今後用意していきます。


自分の行動力について
最近自分は、以前よりもものすごく行動力があるんです(自分で言っちゃう笑)。それについて考えた時に、最適解が生まれたのでご紹介します。
自分は、全ての、本当に全部のことに、一つ一つ(靴をはくことやいつ歯を磨くとか今はどこに意識を重点的におこうとか)結構考えちゃう人で、そう言うのを決めるのに、自分は損得で判断してるんです。
損得で判断してるというと冷たいように感じてしまうと思うのですがそうではなくて、
例えばさっきも出ましたが、人に奢る時に、損するお金と、相手がありがとう!と言ってくれることや相手の笑顔によって俺が喜ぶと言う感情とかも得に入ります。
全ての事象において、損得を考えて、得が0.0001でも上回れば行動すると決めているんです。
それこそ、全部相対的に決めていて、
例えば、1000円奢りが-1000ポイントだとしたら、好きな人に奢って笑顔もらうことは+10000ポイントとか
こう言う感じで色々なことにポイントつけてやってます。(これ客観的に見たらめっちゃきもいな笑)
これをするようにすると、路上でホームレスの人に話しかけたりして、恥ずかしいよりも面白い話聞きたい欲が勝ったり、誰かに嫌われるよりもその人が幸せだと言う事実が勝ったり、いろんなことを決断できます。
おすすめはしません!笑

俺の使命とは
やっぱり全てのことに自分は意味があると思っていて、一瞬の出逢いとか、将来の伴侶とか、この目の前にいる虫を殺す意味とか(殺生は本気で好みません)、この食べ物が俺の前にいる意味とか(食べ物で遊んでる人を見ると本気で反吐が出そうになり、心底怒ってます。この話は一つの議題として今度やろうと思います。)、そう言う意味が全てにあるんです。
俺が生まれたことにも意味があって、そんでこの稲橋家に生まれたことにも意味があって、この感性が与えられたことにも意味があるのだから、俺は、俺には使命があると思っている。そこで考えた使命が、俺は俺のアビリティ等も含めた上で、本気で世界を救うことだと思っている。戦争をなくす、飢餓をなくす、俺の考えを持つ人を増やす。それこそ、なんなら宗教を作ってもいいとは思うんだけど、それは今は色々あってあんまり望んでない(将来的にそれが損得で+になるなら作ると思う)。
それを本気でやる。全力でやる。人生を楽しみながらやる。誰になんと言われようと、俺のことを100%分かってないやつに言われても心が折れることは100%ない。
自分が1人になって、誰も味方をしてくれなくなったら折れる可能性はある。1人の俺は弱いから。だけど、周りにはたっくさんの友達がいて、仲間がいて、家族がいて親戚がいて、将来的に出会う心の友たちもいっぱいいて、俺のことを応援してくれてるであろう先祖もたくさんいるんだから、俺は確実に折れない。やるよ。

やっぱり最後は死ぬ。かも?
人は最後は死ぬと思うんだ(まあ、俺は死なないようになんとかするかもしれない未来も見えてるし、俺の思想は絶対に後世に残すから)。
99.9%人は死ぬんだから、その瞬間に俺は自分の人生に胸を張っていたいし、良い人生だったと言いたいし、たくさんの人に俺の死を追悼してほしい。そんで、教科書に載って、後世には神として讃えられたい。本気で。
しかもそんくらいのことが本気でできると信じている。
だから、月並みな言葉になっちゃうかもしれないけど、俺は生きたいように生きて周りに俺がいることで+だと思ってほしい。将来的に。完久朗がいてよかったよな。完久朗いなかったらやばかったな。とか思ってほしいし、思われたらめっちゃくちゃそれだけで頑張る理由になる。だから、みんなも好きなように生きて。俺と出会えてるんだから。何か困ったら俺を頼って。俺は嫌いで支えたくない人なんて、(今まで口にはしたことはあるけど)心の底からは1人たりともいないから。
今辛い人はコメントか、各種snsかなんかで俺に連絡して。全部解決します。見返りは君が幸せになったって言う事実だけで十分だから。


まとめ
こう言った考え方は、本当にここ最近でどんどん深まって改善されて変わっているものなので、1月前と言ってることが少し違ったりすると思います。でも、それは当たり前だと思っていて、人間は日々変わっていくし、俺は人100倍変わっていくから。
この文章を読んで、多分こいつ頭おかしいなと思った人とか、精神的に病んでて変なこと言ってるんだろうなとか思う人はたくさんいると思う。逆に理解しようとしてくれる人のほうが少ないのは当たり前なんです。それも理解してるけど、だけど俺はこう思ったって言うのを伝えた方が今後得だから書きました。
こんな狂った考えをしていても、今後付き合っていってくれる人がいれば、これからも仲良くしてください!
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