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争いがないから、芸術なんだ。

先日から、手慣らしにイラストをやり直してみている。
思えば、わたしは、もともと美術の人だったなあ、と思い出す。
油絵から、漫画絵まで、幅広く描いてはいたが、わたしの一貫したテーマは、「全部手書き」であることだった。

故に、トーンや、ソフトを使用すれば、数分ですむものを、わたしは、全部線で描いていた。
小学生のころからである。
朝起きてから、夜寝る前まで、一日10枚以上を目安に、毎日、毎日、ひたすら描いた。

頭が悪く、勉強ができないことを当時から知っていたわたしは、ペンにしがみつくように、ひたすら技術だけを高めて、将来への見えない不安のようなものを、そこで解消していた。

兄や、友人たちは、そんなわたしの作品の理解者であり、たまに、仕事をくれた。
美術部の展示で、点描だけでペンギンの写実をしたとき、学校で二番目になった。

しかし、わたしは根っからの競争社会脱落者であるため、好きなこと=仕事が怖かった。

周囲のわたしへの創作家としての期待値が、上がれば上がるほど、反比例して書けなくなった。

誰がうまいだの、下手だの、という批評を耳にするのが、嫌だった。
そうして、わたしは、本当に好きなことが、嫌いにならないうちに、距離を置いた。
(心のなかで、それを守り続けたかったから)

急ぐことを止めた。
絵を描くのは趣味に留め、本当の芸術とはなんだろうか、と生活のなかに生きるようになり、10年。
芸術とは、形あるものではないことを知り、わたしが一生懸命やっていたことは、技術者としての「作業」に過ぎなかったようだ。

しかし、その作業さえも欠けてしまうと、わたしは私ではなくなることを知り、下手な絵を描いても良い時代になり、ようやく楽な気持ちで、ペンを握れた。

好きなことほど、シェアできない不器用なわたしは、ようやく生きやすい時代になったな、と創作観念のいまの自由さが、実はけっこう好きだな、と内心でよろこぶ。
金と同じで、上や下の概念が付着しつづける創作世界は、苦手だったから。
(当時は、絵が下手、というだけで、描いてはいけなかった。だから、毎日線を引き続け、プロのアシスタントレベルまで、技術を上げていた)

いまなら、気兼ねなく絵を描いても、怒られないな、と安堵した気持ちで、のんびり描いている。
「多様化」という言葉を嫌う、古い頭の大きな怪物たちが、静かになり、個を尊重するコンプライアンス効果が、創作世界を案外自由にしているようだ。  


  当然、古い怪物たちとのほうが、話はあうだろうが、時の流れに順応してゆくのが、本来の芸術の在り方ではないか、とわたしは思う。
いまの多様性を大切にする社会だからこそ、許される自由もある訳で。
描けるか、描けないか、というシンプルな創作風潮は、本来の芸術の自由さをうちに秘めているのだから、不思議なものだ。

本来なら、誰もがかいていい。
それが、創作の自由ではないか。
争いがないから、芸術なんだ。

わたしは、未ださびついていない、指先の技術を尊く思い、今なら泣きながらペンにしがみついていた、小さな彼女を抱きしめに行けそうだ。
頑張ってくれて、ありがとう。ってね。

デジタル化するのは、まだ金銭的に無理だが、手書きの技術は、また磨けるだろう。
わたしは、自分のもつあらゆる能力を愛しく思う努力をはじめている。
それは、どんな作業よりも、実は一番難しいことだから。
自分を大切にすることは、何より、人を大切にすることだ。
創作家として、忘れてはならない感情は、生への感謝なんだろう。





本当に下手(笑)
でも、たのしいや。

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