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目羅博士の不思議な犯罪

秘密倶楽部での秘密の会合。

同じ秘密を共有し、興奮していく様はまさに悪趣味。グロテスクの醍醐味ですなあ。99人もの殺人をおかしてきた訳です。ここはズバッとキリよく百人斬り宜しくですなあ…

と、まあ、秘密倶楽部といいますか、そもそも私が立ち寄ったところも、とある雑居ビルにて「秘密倶楽部アニマアニムス」と看板を掲げた、胡散臭いロックバーを謳った炭水化物だらけの酒場でありまして、そこのマスターの独り言と申しましょうか。聞いている分には話の筋のネタには多少なったかとは思うのですが。そうですねえ、小説にするなら、仮タイトル『影男、その赤い部屋につき』…なんて如何でしょう?

まあ私も色んな小説を書いておりまして、小説の筋を立てるのに方々ぶらつく事があるのですが、今日も国技館のお化け大会って奴を見に行ってですね、久々八幡の藪不知をくぐって、子供時分の懐かしい思い出に耽ておった次第でありまして。


「猿って奴は、どうして相手の真似をしたがるのでしょうね」

ふと、男が私に話しかけてきたのです。

「真似っていう事は考えてみると怖いですね。神様が猿にああいう本能をお与えなすった事がですよ」

ははーん、私は思いました。この男、哲学者ルンペンだなと。男が言うんですよ。猿が真似をするのはおかしいけれど、人間が真似をするのはおかしくありませんね、と。

神様は人間にも猿と同じ本能をいくらかお与えなすった。それは考えてみると怖いですよ。すると、この哲学者ルンペンが「あなた、山の中で大猿に出会った旅人の話をご存じですか?」と言ってきやがったんですよ、こんな具合に。

「人里離れた深山で、旅人の男が大猿に出くわし、脇差を盗られてしまった時の事…。取り戻そうにも相手は高い木の上。そこで旅の男はとんちを利かせ、その辺に落ちていた木の枝を刀に見立て、太刀回りをして見せたのです。すると猿は旅の男の仕草を一々真似始めました…」

 いわゆる猿真似ってやつですなあ。そのうち大猿は自殺してしまった!と、哲学者ルンペンが言いやがったのです。おいおい何故だい?って聞いてやったんですよ。すると哲学者ルンペンはニヤッと笑い、

「何故か?旅人は猿の奴が興に乗ってきたのを見すまし、木の枝でしきりと自分の頸部をなぐってみせたからですよ」

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猿はそれを真剣で真似たものだからひとたまりもありません。旅人は刀を取り返した上に大猿一匹の土産が出来た…てな話を哲学者ルンペンがしてきた訳です。

真似というものの恐ろしさがお分かりですか?人間だって同じですよ。人間だって真似をしないではいられぬ、悲しい恐ろしい宿命を持って生まれているのですよ。タルドという社会学者は人間生活を模倣の二文字で片付けようとした程ではありませんか、と。

彼はそれから模倣の恐怖について色々と説を吐きおりました。あ、彼は又、鏡というものに、異常な恐れを抱いておりましたなあ。そうこう話しながら歩いているうちに大きな池の前につきまして、彼が一言いいました。

「ああ、月が出ましたね」

今日は十四日ですか、殆ど満月ですね。降り注ぐような月光とはこれを言うのでしょう。月の光って何て変な物なんでしょう。月光が妖術を使うという言葉をどっかで読みましたがアレは本当ですね。同じ景色が最前とはまるで違って見えるではありませんか。あなたの顔だってそうですよ。最前、猿の檻の前で立っていたあなたとは、すっかり別の人に見えますよ…

と、彼が私の顔をジロジロと眺めてくるもんだから、私もなんだか変な気持ちになってきて、相手の顔の隈になった両目、黒ずんだ唇が何かしら怖いものに見えてきたのです。

すると、「あなた小説の筋を探しているのでしょう?ひとつ、あなたにふさわしい僕自身の経験した事実談があるのですが、聞いてくださいますか?」ってな具合で言ってくるもんだから、実際、話のネタになればいいかと思い、聞きましょう、どこかご飯でもつきあってください、静かな部屋でゆっくり聞かせていただければ…と私の声を遮るように、

「いやいやいやいや、僕の話に明るい電灯は不似合いです。ここで、この場所で、妖術使いの月光を浴びながら、巨大な鏡の池の前でお話ししましょう」と不気味な程に怪しく光る満月の下、その男が話しはじめたです。

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「ドイルの小説に恐怖の谷というのがあるでしょう。まるでそんな峡谷を思わせる高いビルディングとビルディングの間、文明の作った幽谷に僕は住んでおりました。昼間は玄関番を勤め、夜はビルディングの地下室に寝泊まりしながら暇さえあれば絵を描いてすごしておりました。半年前位ですかね、事件が起こったのです…僕の住んでいるビルディングで首くくりがあったのですよ」

男は続けます。

「しかも同じ場所で五階北側の部屋で立て続けに三人。五階の部屋というのが一番陰気な、随って室料も一番廉い二部屋続きの室、ビルの裏側の渓谷に面した日のささぬ部屋でして…」

男が話すにはこう言う事です。最初の自殺者は香料ブローカーだった。入居した時から妙に沈みがちな陰気な男だったので、人々は皆、魔がさしたんだ、とかたづけてしまったと。

ところが、魔も無く、その同じ部屋に借り手がつき、二人目なんかは極く快活な人物で、その陰気な部屋を選んだのも、ただ室料が安いからという理由で翌朝には又ブランコ騒ぎ、全く同じ方法で首くくり。

恐怖の谷に開いた呪いの窓…。面白いじゃないか、俺が一つ試してやろうと、そのビルディングの事務員の一人の豪傑が、まるで化け物屋敷を探検するような意気込みで部屋に寝泊まりした数日後、首を縊って死んでしまった、と。

なるほど、よく言われる自殺の名所の類でしょうか、と男に尋ねたら「いやいやいやいや、そんなつまらないお話ではないのです。共通している事がありまして、三人が首吊をはかったのは今夜のように月の冴えた夜だったという事…」

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ビルとビルの狭間、狭い渓谷にほんの数分間、白銀色の妖光が差し込む時間があり、その間に起こるのだ、月光の妖術なのだ、と、池に写った月を眺めながら哲学者ルンペンが言ったのです。

「これです。この不思議な月光の魔力です。月光は冷たい火の様な陰気な激情を誘発します。詩人ならずとも月に無常を教えられる、芸術的狂気という言葉が許されるならば、月は人を芸術的狂気に導くものではありませんか」

男がそんな事を言いやがるので、つまり、月光がその人達を縊死させたのか?と聞いてやったんですよ。すると奴さん「いやいやいやいや、そんな事は言っておりません。そうだったとしたらそろそろ我々も首をくくらねばなりません」とニヤリ笑い、

「見たんですよ。月光の魔力を操る妖術師の姿を…!」
と、男は隈の出来た両目を見開き更に話を続けたのです。

それは三人目の首吊りが行われるであろう満月の夜の事。
何かしらゾクゾクとした僕はその五階の部屋を尋ね、ドアを開け、最初に目に映ったのは向かいのビルディングの窓でした。月光を受けておぼろげに光ったそっくり同じ形の窓。

その窓に近づき外を見てみると果たして予期していたものがそこに現れてきました。月光の妖術にかかった男の首くくり。僕は自分まで月の妖力にあてられてはいけないと思い、その場を立ち去ろうとしたその時…!

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見たのです。
闇の中に浮かぶ黄色い顔を。

誰もいない筈の真向かいのビルのぽっかり開いた部屋の窓から、じっとこちらを覗いてニヤニヤしているではありませんか。

その顔は月の光の中でさえ黄色く見える、しぼんだ様な、寧ろ奇形な、いやないやな顔でした。僕はあの黄色の顔の妖術使いのせいで、三人が首を吊ったんだと確信しました。

警察では三度とも自殺である事に一点の疑いも無い様子でしたが、理外の理を信じる訳にはいきません。と、哲学者ルンペンが言うもんだから私は、何かトリックがあるのですか?と聞いてみたのです。

すると「良くお気づきで。一週間ほどたって僕は妖術使いの正体が解ったのです。大通りを歩いていたら、あの黄色い顔が歩いているじゃないですか。もちろん後をつける訳ですよ」と。

それは目羅博士という近所で眼科医を開業している風変わりな人物でした。

医学博士ともあろう人が、真夜中に空ビルディングに入り込んで、首くくりを見てニヤニヤ笑っていたというこの不可思議な事実をどう解釈したらよいのでしょう。僕はそれと無く出来るだけ多くの人から彼の経歴なり、日常生活なりを聞き出そうとつとめました。

「あすこの診察室の奥の部屋にはね、ガラスの箱の中に、ありとあらゆる形の義眼がズラリと並べてあって、その何百というガラスの目玉が、じっとこちらを睨んでいるのだよ。義眼もあれだけ並ぶと実に気味の悪いものだね。それから眼科にあんなものがどうして必要なのか、骸骨だとか、等身大の蝋人形などが、二つも三つもニョキニョキと立っているのだよ…」と、眼科医を知る人の声。

彼が一連の事件にかかわっているのは間違いない。しかし、一体どうやって向かい側のビルから離れた人間を操る事が出来るのでしょうか。催眠術?いや、それは駄目だ。死というような重大な暗示は無効だと聞いている。僕は烈しい好奇心にかられ目羅博士の不思議な犯罪を探偵してみたくなったのです。

「お世話になります。管理人さん」

やがて三件の自殺騒ぎも人の口にのぼらなくなった七十五日後、輸入貿易の仕事場として新しい借り手が五階の部屋に越してきたのです。

彼女は勿論事件の事など知らない。僕としては彼女が次の犠牲者になるのではと気が気ではありません。

そして彼女が越してきてから三日目の夕方、例の黄色い顔、目羅博士が人目を忍ぶように洋服店に入っていったかと思うと、一着の婦人服を買い求めたのです。

え?何をしたのかだって?彼は等身大の蝋人形にカツラをかぶせ、今買ってきた婦人服を着せていたのです。そうして出来上がった人形はなんと、例の部屋に越してきた新しい住人の彼女でした。

 もうぐずぐずしてはいられない。

僕は彼女と寸分違わぬヒトガタを見た時に気づいたのです。目羅博士のあまりにも奇怪な着想に。

そう、今夜は満月!

博士はまたあの妖術を使うに間違いありません!

彼女を救う事が出来るのは僕だけなんだ。彼女には適当な理由をつけて今夜は早目にその仕事場から出て貰い自宅へ戻るように説得しました。

彼女が帰ったのを確かめ、用意していた合鍵で中に侵入し、彼女の着ている洋服と全く同じものを着用し、カツラをかぶり、彼女になりすまし、じっと博士が現れるのを待ちました。

ホーーーーーーー
 
こんなところでフクロウの声…。

誰でも窓の外をのぞかないではいられません。向かい側の建物は一杯に月の光を浴びて銀鼠色に輝いていました。

こちらとそっくりそのままの構造。なんという変な気持ちでしょう。まるでこちらの建物がべら棒に巨大な鏡の壁にそっくり映っているようじゃないか。

巨大な鏡に映ったビル、それは月光の妖術が加わってそんな風に見えたのです。そこで一つ、鏡にしては変な事に気がつきました…。

僕の姿が映ってないじゃないか。

月明りの下、男は話を続けます。

あんな処にいるじゃないか…。
ああ、そうか、私はあすこにいたのだった。

鏡の中の自分が目を閉じていたらどうでしょう。自分も目を閉じないではいられなくなるのではありませんか。

自分自身、鏡の影と一致させる為にも首を吊らざるを得なくなるのです。首吊りの姿が少しも恐ろしくも醜くも見えないのです。

ただ美しいのです。
絵なのです。
自分もその美しい絵になりたい衝動を感じるのです。

もし、月光の妖術の助けが無かったら目羅博士のこの幻怪なトリックは全く無力であったかもしれません。

お解りかと思いますが博士のトリックは簡単なものでして、例の蝋人形にこちらの部屋の住人と同じ洋服を着させ、こちらと同じ場所に木切れを取り付けてテグスで結び付けブランコさせるという物でして。

このトリックの恐ろしさをあらかじめ知っていた僕でさえこの有様なのです。うっかり窓枠に足をかけてハッと気が付くほどでした。

僕は麻酔から醒める時と同じあの恐ろしい苦悶と戦いながら準備していたものをかつぎだし、反撃の時を待ちじっと窓の向こうを見つめていました。

なんと待ち遠しい数秒間、僕の予想は的中しました。

予想通りこちらの様子を見る為に向こうの窓から目羅博士がひょいと覗いたのです。

そうなのです。僕が反撃の為に準備していたもの、それは博士と同じ服を着せたヒトガタだったのです。果たして人間はやっぱり猿と同じ宿命を神様から授かっていたのです。

目羅博士は僕の準備した博士のヒトガタと同じように窓枠に腰をかけました。ビルの渓谷、上空には煌々と妖しく輝く月。向き合っている目羅博士と全く同じ姿のヒトガタ。

僕がヒトガタの腕を上げると博士も同じように腕をあげる。博士はみじめにも彼自身が考え出したトリックと同じ手にかかってしまったのです。今や僕は人形使い、傀儡師であります。

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そして次に何をしたと思います?博士のヒトガタの背をちょいと押してやったんですよ…。

するとどうです、やっぱり向かい側の窓からも同じ服を着た老人、そう、目羅博士が飛び降りたんですよ。

「目羅博士は死んだのです。僕が殺したのです」

燦々と降り注ぐ月光を浴びながら話す彼に私はこう言ったのです。何故目羅博士を殺したのか?すると男は、

「動機ですか?それは申し上げるまでもないでしょう?あなただってよおくご存じの筈だ、ねえ、R先生」と、私の眼前に立ちはだかり、

何の動機がなくても人は
殺人の為に殺人を犯すものだという事を

そういって彼は煙のように消えて行ってしまった。
何が現実で何が虚構なのか?まあ新しい小説の筋は出来た。よしとするか。

あ、そういや、もう一つ話の筋があるんですが聞いてもらえますか?いやいやいやいや、月光がどうのこうのいった話ではなく、これまた不思議なゾクッとするオハナシでして、、、。男が匣の中で母の温もりを感じながら眠っております。さあ、続きのページをめくってみましょう。

底本
「江戸川乱歩全集 第8巻 目羅博士の不思議な犯罪」光文社文庫より引用 リライト
瀉葬文幻庫
綴手/宮悪 戦車 月絵/飴彩 里沙羅


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