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「おいしい」という言葉のスパイス

今日は何を作ろう?明日はこれを作ってみたい!とワクワクが止まらない。

2ヶ月前に始めた一人暮らしをきっかけに私は自炊に挑戦しており、この度料理にハマった。iPhoneのアルバムは12月を境にすっかり人が消え、代わりに自分で作った料理の写真で溢れかえっている。まさか自分が料理に熱中するなんて…

以前からInstagramやTikTokで彩り豊かなお弁当や沢山の副菜が並ぶ食卓、手際の良い料理動画や調理する音を見聞きすることが好きだった。でもただ眺めるだけ。本来ズボラなので、実家暮らしの頃私がキッチンに立つことは全くなかった。

けど今はひとり。調理できる環境がある・コロナ禍で自由に外食にできないけど家でも色々な料理を食べたい・実家暮らしの時ほど自由にお金を使えない上作ってくれる人がいない。「やれる・やりたい・やらざるを得ない」の3つが揃うと人は行動を起こすことができるのかもしれない。

何でも見た目から入るタイプの私は、軽く作れるよって言いたいものから始めてみた。肉じゃが、唐揚げ、生姜焼き、ハンバーグ、ミートソース。どれも好きな料理ランキングで上位に入りそうなものばかりである。

今や私の料理のお供であるkurashiruとcookpad。このアプリさえあれば初心者の私にだって何でも作れると思っていた。イメトレもバッチリだ。

と余裕をかましていたのも束の間。調味料はきっちり量って入れたのに味がボヤけてるし。材料はレシピと同じものを用意したのになんか映えないし。結構時間をかけたのに完成したのは2品とかでなんか食卓が寂しいし。定番の料理こそ逆に難しいだなんて思いもしなかった。レシピ通りに作ったら100点とはいかない料理の難しさと奥深さを思い知った。

これは料理に限らずだけど、小手先のテクニックだけでは何事も初めから上手くいくはずが無い。SNSで見てきたあの綺麗な食卓やお弁当の写真の裏には日々トライアンドエラーを繰り返した末に生まれた確かな技術があるのだと気付いた。

ということで私もイメージ通りの料理を作れる日を夢見て、今のところ毎日何かしらを作り続けている。

既に初歩的な失敗をたくさん経験した。スパゲティを茹でる時、塩をかなり少なめにしたら無味の麺ができたこと。ホワイトソースを作るためにバターと薄力粉をレンチンしたら謎の白い物体ができたこと。あんかけ作ったら水みたいにサラサラになったこと。でもその失敗のおかげで塩分の大切さを理解したし、あんかけの個人的ベストな水:片栗粉の割合は1.5:1、ホワイトソースはレンジより火にかけてとろみをつける方が良いと知ることができた。失敗しないと気付けなかった事ばかりだ。

そして最近、これらの経験を活かして人生で初めて友人に手料理を振る舞った。いつもは自分だけだから多少の失敗は妥協できるけど、自分以外の人が食べるとなると美味しいかな?量は足りるかな?と色々なことが気になって仕方がなかった。でも、いざ食べてもらい「おいしいよ!」と全て完食してくれたことがすごくすごく嬉しかった。何にも変え難い安堵感に包まれたような気分になった。

料理を作った人へかける「おいしい」の一言は、どんな調味料にも敵わない心に沁み渡るスパイスだ。

だけどそれと同時に、私は今まで母親が作ってくれた料理に対してちゃんと「おいしい」と伝えてきただろうか?と思った。長年料理を作り続けてきた母親だって同じことを感じていたかもしれない。次に実家へ帰って母親のご飯を食べた時は絶対に心からの「おいしい」と感謝の気持ちを伝えようと思った。

何より自分の料理をおいしいと言ってくれる人がいる幸せを知った私は、もっと料理の腕を上げて、いつか大切な人に自分の料理を毎日食べてもらえる日が来ると良いなという新たな夢ができた。やっぱり一人で食べるよりも皆で食卓を囲んだ方が楽しいし、より一層美味しく感じる。

あたたかいご飯を食べながら、そのおいしさを誰かと共有できる幸せは明日を生きる活力となる。だから私はもっと色々な「おいしい」の形と出会うため、これからも失敗を繰り返しながら料理に挑戦し続けたい。

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