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「記憶力がいい」って褒めてますか?

「よく覚えてるね〜」「そんなことまで覚えてるの?」「そんなことあった?」

と言われることが多い。正直、あんまり良い気はしない。

でも私にとって覚えていることは当然なのだ。こう言われてしまうと、あたかも自分だけが覚えていて相手には忘れられていたんだと感じてしまい、以前は結構ショックを受けたりしていた。忘れやすい人に言わせてみれば、本当に忘れちゃうだけで全く悪気はないらしいけど個人的には全く共感できない。

直近の話で言うと、私は先月末に27歳の誕生日を迎えた。子供の頃ほど嬉しさは薄れてきたものの、やっぱり「お誕生日おめでとう」って当日に言ってもらえるのはすごく嬉しい。自分から「今日は私の誕生日です!」ってアピールしていないし、他の人からしたら普通の1日なのにどこかで思い出して連絡をくれるなんて、、、
みなさん本当にありがとうございます。

こんなこと言うと心の小さいやつだと思われるだろうけど、超絶仲良いと思っている友達から誕生日をスルーされると結構なダメージを喰らう。たかが誕生日やーんって気持ちとLINEにも出てるのに忘れることある?って気持ちが交錯する。なぜなら自分はそんなこと絶対にあり得ないから。他にお祝いしてくれた人がたくさんいるのに、どうしても忘れられた人に目を向けてしまう。なんてださいんだ私!

でも、いくら忘れっぽい人でも絶対に忘れることのできない話とか思い出ってあるんじゃないの?と個人的には思う。それに比べると人の誕生日はあくまで自分には関係ないから記憶の優先度が落ちるだけなんだろう、と自分で納得させる。
特に私は勉強したことはすぐに忘れるくせに、人との思い出は忘れられないし友達の誕生日は大体頭に入っている。思い出とか言うと大袈裟だけど、きっと誰かと過ごした時間はどれも私にとって印象的だからだ。
誰といつ頃会ったか、その時何をして何を話し何を思ったか、どこで何を食べたか、すごい時は大体の日にちまで覚えている。

これには実際、メリットもあるしデメリットもある。

例えば、それこそ誕生日は覚えていてかつ相手に連絡したら100%喜んでくれるし、嬉しかった事・楽しかった事はいつまでも良い思い出として残る。
ただ同時に悲しい事や忘れたい事も忘れられないので、ふとした瞬間にその情景と共に思い出して苦しくなることもしばしば。

なぜこうなったのか?おそらくそれは私の「記録癖」が原因だと思う。

具体的には手帳日記・スケジュールアプリ(Lifebear)・食べログカレンダーが今の私を形成していると言っても過言ではない。

もう6年以上手書きでの日記を続けている。きっかけは語学留学だった、非日常で感じた思いを忘れないように残しておきたくて。その時はどんなに悲しかったり、嬉しかったりしたことも年月が経てば段々とその感情は薄れるから。その中でも最も悲しいのは、忘れていることすら忘れてしまうこと。

デジタルの時代に手で書く理由としては、単純に字を書く事が好きということもあるが、日によって字の綺麗さがその時の心情を物語るからである。

いつも夜寝る前に日記を書くので、その日1日あったことを思い出す。どこかへ出かけた日や何か起こった日は書くネタだらけだ。もちろん家から一歩も出ず、ダラダラする日だって過去幾度となくあったが、そういう日は「何もしてない、以上!」でも良しとしたことが今も続けられている理由かもしれない。

あとはlifebearというスケジュールアプリと紙のスケジュール帳でのダブル管理もかれこれ8年以上続いている。用事をジャンルで色分けして細かい時間設定ができるので、私が予定を忘れることはほぼないと言っていい。飛行機の中など電波が通じない場所で昔のスケジュールを眺めたり、LINEのトーク履歴を振り返る時間は記憶の回収のようでとても好きだ。

だからなんとなくその場のノリで決めた予定とかもこっそりアプリに入れてて、相手から何の連絡もない時、私から明日どうする?と言えないこともザラにある。だいぶ前に決めた予定だし、忘れてるだろうな〜みたいな。

そんな感じで気付いたら私は「よく覚えている人」になっていった。
でもそれはマメだからとか記憶力がいいからとかじゃなくて、ただ忘れないだけ。今後もたまに忘れてるフリをしながら、色々な思い出を心に積み重ねていきたい。

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