未来にさよならしよう。 希望とともに。
若林 恵、2012~2017の期間雑誌『WIRED』日本語版の編集長を務めた方である。この夏に購入した『さよなら未来 エディターズ・クロニクル2010−2017』の著者であり、国内で「未来」について最も考えたり聞かれたりしている人間のひとりであることに疑いの余地はない。
最初にカミングアウトしてしまうと、まだ『さよなら未来』は半分くらいしか読めていない。だけどこの書籍における若林さんの語り口は僕の感性にとてもフィットしていたし、半年くらい前にNHKの「SONGS」という番組でヒッキーこと宇多田ヒカルにインタビューしていた様を観ても、何か魅かれるものがあって、いつか直接会って話を聞いてみたいなぁと考えていた。
11月22日木曜日、場所は渋谷ヒカリエ8階。
タイトルは上の写真にある通り、「デジタル分散主義と新しい働き方」。
16時過ぎ、スマホでQRコードを提示して入場する。来場者は5, 60人くらいだろうか、思っていたよりは少ない。おかげで前から2列目の席に座ることができた。
運営の短い紹介に続き若林さんが登場する。おぉ、ホンモノだ。想像以上に怪しいオーラ(失礼)を纏っている。
2時間近いトークのアイスブレイクは月の初めにTWDW(Tokyo Work Design Week)の韓国版、SWDW(Seoul ~)にまつわる話から。どんな韓国料理が好みだとか、あのお店は良いとか雑談っぽいノリ。
「大して面白い話できないから帰るなら今のうちだよ。」とか「未来ってどうなるの、って聞きにくるおじさんが多くてさぁ。そんなの知らないって言ってるのに。」などと冗談交じりにオーディエンスの期待値を下げる辺りに場馴れした巧さを感じる。
若林さんがこれまでに手掛けられた仕事やそれにまつわる裏話をいくつか披露した後、話は本題に。
”Future Resembles the Past” 未来は過去に似るというお話。
「近代」、日本では明治維新以降の150年間がそれだ。
客席にこの本が回覧され、江戸時代に皆が想いを馳せる。
江戸時代は近代よりも多様性があり、下級武士が複業で傘張りをしたりしていた時代。職種も当時は1000種類くらいはあったとされている。
社会全体をみても”Circular Economy” 無駄の少ない循環型社会であったらしい。
『明治維新』(個人的には「倒幕クーデター」だと認識している)以降、中央集権が進み、産業化は政府主導で行われる様になってしまった。職種はどんどん減り、多様性や許容性が低い社会になって今に至っている。
科学の力に頼り切った我々現代人。単純な懐古主義じゃないけれど、未来は江戸時代の様な豊かな世界になるといいなぁ。落合陽一氏の掲げる「脱近代」とか僕が興味を持っている「不便益」がこれからのキーワードになると確信した前半戦。
グラレコ(1) 絵が入ると面白い。
後半は江戸の話は一旦置いておいて、「デジタル分散主義」のお話。雑誌「WIRED」の王道とも言える路線。
客席にはこちらの本が回覧される。
ついでにこちらの本も紹介された。
Bullshit Jobs... 過激なタイトルだよね、嫌いじゃないけど。
世の中にはそこらへんにコンピュータやAIが転がっていて、処理するデータを待ち構えている時代だ。機械やAIに任せられる仕事は任せておいて、人はもっと楽しいこと、やりがいのある事をすべきじゃないのか。
経済学者ケインズは20世紀前半に今世紀末には、週15時間労働で済む時代になると予測した。だけど実際は一般的なサラリーマンの残業時間が増えているのが現実だ。
サラリーマンって何なんだ、という問題提起。
決まった時間に決まったことをする、規則や規律を重視した軍隊モデルが日本には根付いている。教育も然り、企業も然り。労働者は置き換え可能なパーツとして扱われている。僕も職場で何度か「お前らは企業の歯車だ。歯車は欠けちゃ困るからしっかり健康管理しろ。」みたいなことを言われた覚えがある。上司は言う「給料はストレスの対価だ。」と。
次のトピックはお金って何なのかについて。
これも『さよなら未来』に出てきた記憶がある。
「お金」の起源は物々交換の代替手段ではなくて、そもそもヴァーチャルなモノなのだ。モノの所有権の移動が台帳に記述されるシステムが「お金」。
資本主義は債権者をどんどん量産して経済が回る仕組みのこと。うん、結構しっくりくる。若林さんの次の書籍は”Next Generation Bank”になるらしい。
先日読んだ『マクルーハンはメッセージ』(服部桂著)にも「お金は貧乏人のクレジットカード」という記載があった。「お金」に執着する人間は精神的に貧しくなっていく。僕の会社の社長や執行役員の様に。「お金」に縛られず、アイディアを出し合って対話して、どうやったら企業という生命体を育成できるか考えれば良いのにねぇ、大企業はさ。
話は次第にSNSやインターネットの功罪に関する内容に移っていく。
海外では「インターネット」は終わったと言われている。そりゃそうだろう、そもそもインターネットは軍事目的で作られたシステムで、売るものがなくなったアメリカが民間用途にかなり強引に転用したものなのだから。
ソーシャルメディアの問題はマネタイズが結局広告モデルになっているところ。CMが見たくないからテレビじゃなくてYoutubeを見ているのに、結局CMを強要される視聴者。これじゃあ世界は良くならない。
なので今、facebookもTwitterも世間からはバッシングの対象となっている。
インターネットは分散型のシステムなので、権力者に敵対するテロリストにとって好都合なのだ。
国内では「IoTテクノロジー」で「ビッグデータ」を収拾しようとする企業がいっぱいいる訳だけど、世界の潮流としては「データの主権は個人」にあるため、データを持つことはリスクになると考えられつつある。
最後はやっぱり「未来」の話。
デジタル分散主義、あらゆるモノは分散されていくという考え方だ。
食料なんかについてはやはり地産地消が正義だし、ローカルな問題は現地で解消されれば良い。
Uberの配車システムやAirbnbのアイディアは素晴らしいものだけど、別に世界中に広げる必要は無かったのかも知れない。
グラレコ(2)未来(これから)の話
気がつけば、時計の針は18時を超えていた。
面白い人のトークは時を忘れさせる。
それと同時にいくつかの宿題を課せられた様にも感じた。それは生で、直接話を聴けたオーディエンスだけの特権なのかも知れないけど。
「未来」は民衆の創造物だ。
起業に向けてまた背中を押していただけた夜だった。