執着を手放して自由を得る
声が与えてくれる癒し効果という記事で過去に書いたがここ二ヶ月くらいツイッター経由でツイキャスというものに突然出会い、その声と話し方にひと聴き惚れ(?)してキャスが始まったらすぐに聞くという生活をしていた。
そこに集まっている人たち(コメントしている人)はいつも同じメンバーですでに内輪受けの雰囲気が出来上がっていた。それでもずっと聞き続けていたのは。以前書いた陽性転移していた娘の元主治医の声と語り口に似ていたからだった。
大好きだった元主治医が残してくれた肉声の録音。ソレを毎日毎日飽きもせず眠る前に半年以上聞いていた。もう内容もすべて覚えてしまった。最後の診察の日、
「もう一度録音させてください」
とお願いしたが
「それはあれ一回だけです。」
と断られた。
続きが欲しかった。
先生との会話をもっともっとしたかった。本当は異動という形でお別れしたくなかった。現在進行形の先生の声が聴きたくて仕方なかった。そんなときにそのキャスに出会い、求めていたものに逢えた気がした。
でも実際は違ってた。私の大好きだった先生とは別人だった。当たり前のことなのに、キャスに現実逃避を求めてしまった。娘は突然始まるそのキャスに私が呼び出される(通知)がくることに嫌悪感を持っていた。私は私で内輪だけで盛り上がり、時にはお祭り騒ぎになり、深夜でも呼び出し音が鳴るキャスを聴くことに疲れてきていた。
いつの間にか自分が本当にやりたいこと(音楽を聴いたり、こうして文章を書いたり、眠ったり)する時間がそのキャスによって中断、もっと言えば奪われていることに気づいた。そのタイミングでフォローも外し、ツイキャスアプリも削除した。
嘘のように今までの平和で静かな時間が戻ってきた。先生の代わりはいない。そしてそれを他に求めることも何か違っていたんだと。そのキャス主が悪いわけではない。私にはその場所が合わなかっただけだということ。
秋の夜長。今日は何をして楽しもうか。
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