ただただ「減点」を恐れている
わたしの人生は「減点法」だなと思う。
「今日も、〇〇ができなかった」
「今日の●●は適切じゃなかった」
反省でも教訓でもなくて、ただただマイナスとして刻んでしまう。
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恋人(大学院生)がバイト終わりで遅くなるとき、
わたしは自分のご飯は食べていなくても、彼のためになるたけ良いものを使ってご飯を作る。
海鮮丼とか、ちょっと高価なもの。
お腹を空かせた状態の彼は帰宅してひどく喜ぶ。
そして食べて「美味しい」と言ってくれる。
この時、わたしは安堵する。
「よかった。」
わたしも朝が早いけど、自分の分は作れなくても
彼の分のお弁当を作る。
中身は大したことがなくても、レンジものじゃなくて、出来るだけ作って、見栄えを良くする。
お昼頃に彼から連絡が来る「お弁当、美味しかったよ!」
この時も、わたしは安堵する。
「よかった。」
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今日色々作業が増えて遅く帰った今日。
(遅いといっても、10時半だけど。)
そしたら彼がカレーとスープを作ってくれてて、
自分でそれを食べて、残りもあるから「食べなよ」って優しく用意してくれた。
茶碗も洗ってくれて、軽く掃除もしてくれていて。
通常なら、嬉しいだろう。
通常なら、彼に感謝するだろう。
でも、この時のわたしは、ショックだった。
少し、落ち込んでしまった。
「ご飯作ったよ!」と彼が言う時、
なぜか私の脳内では「私はご飯を作らなかった」と変換されてしまう。
「茶碗を洗ったよ」と彼が言う時、
私の頭の中では「私は茶碗を洗わなかった」と捉えてしまう。
それゆえ、落ち込むのだ。
そして、
余ったご飯を、「これ、明日のお弁当にするよ」と彼は言った。
この時、私は、「この余ったご飯、明日の朝私食べてもいい?」と咄嗟に言ってしまった。
理由は、私がお弁当を作るという役割がなくなるのが怖くなった。
私は「彼のために」お弁当を作ったり、何か彼にしてあげているのではないのかもしれない。
「しなかった」という小さなマイナス要素を掻き消すことで、好きな人から自尊心を得ようとしているのかもしれない。多少無理をしてでも、その自尊心を守りたいと思ってしまうのだと思う。
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半年ほど前に彼と少し大きな喧嘩した時、
彼は疲れた顔で、
「きなこのこと、それほど完璧だと思ってないし、それほど好みでもないよ。でも好きだし愛している。」
と言われたことがある。
まあ、言われてみれば別におかしなことでもないだろう。
私は平均以上に優れた部分があるかと言われればそうでもないし、美人の類でもないし、ある一定以上の大学は出たけど天才でもない。むしろ遠回り型の欠格人間だ。
だけど彼に、「それほど完璧でもない」「それほど好みでもない」
と言われた時、
「今なら死んでもいい」って本気でそう思った。
本気で、もう全てがどうでもよくなる気がした。
彼がその後に続けて言った「好きだよ愛している」なんて言葉は何にも響かなくて、ただ、「完璧じゃない」「それほど好みでもない」という言葉に絶望した。
好きな人には、他人よりもはるかに自分を曝け出している。
なにせ一緒に暮らしてもいるんだから、見られたくない部分も、隠せない弱点も、多少は公開しないと生活しては生きていけないし、お互いのあらゆる部分の認知度は友達レベルの人とは比べものにはならないだろう。
それにわたしは、容易く誰とでも仲良くなれるタイプでもないし、本音を話せるような関係の人はいるかな?というくらいパーソナルスペースが狭い人間だ。最近は意識して割とオープンになろうと心がけているけれど、20年以上の布石は早々剥がせはしない。
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気を許している人に、好きな人に、大切な人に、
「ダメ」な部分を指摘されること、
わたしはこの部分にひどく敏感なのだと思う。
どうしてもポジティブに受け取れなくて、
「減点だ」と捉えて、気分が落ち込んでしまう。
そして行動の原点もポジティブなものではなくて、「減点されないように」という意識からくるものだから、こんな行動要因ってなんだか虚しいなぁって思った。
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