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吸血鬼がいた?ルーマニアのこわいお城

中学生の頃読んだ赤川次郎さんの"吸血鬼シリーズ"で、「ドラキュラの故郷はルーマニアのトランシルヴァニアである」というのは知っていたのですが…

最近、そのトランシルヴァニア地方にドラキュラ伝説のモデルになったお城があるのを知りました。


(ブラン城 CC BY-SA 3.0 ro, 
by Florin Şarpe Wikimedia Commons )


山の中に佇む中世のお城、どちらかと言うとジブリ映画に出てきそうな感じです。

しかしその背景には、「串刺し公」の伝説が⁉︎


早速その歴史を見ていきましょう。


/// 残酷な描写があります、ご注意下さい ///

◆城ができるまで

元々この地に城が作られる前は、木造の要塞がありました。

これは当時この地域を治めていたハンガリー王より、異民族の侵入を防ぐよう命を受けたドイツ騎士団が作ったもの。(1211〜1225年の間)

ドイツ騎士団は異民族の侵入をよく防ぎましたが、次第に傍若無人な振る舞いが目立ち始め、雇い主であるハンガリーの怒りを買います。

結局、当時のハンガリー国王率いる軍隊によって、ドイツ騎士団は追放させられてしまいました。



しかしこの地に移住してきたドイツ人(トランシルヴァニア・ザクセン人)は、そのままとどまり続けたのです。

その後、1377年に「ここに石造りの要塞を建ててもよろしい」と言った内容の文書が発表されます。

文書を発表したのは、時のハンガリー国王ラヨシュ1世。

先ほど触れた、トランシルヴァニア・ザクセン人に向けての発令でした。

この文書を受けて作られた「石の要塞」こそが、ドラキュラの居城と言われたブラン城を指すようです。

この石の要塞は、オスマン帝国からの攻撃に備える為に使われたり、国境付近の税関として使用されるようになりました。

ブラン城は度々所有者が移り変わりますが、ここではドラキュラのモデルとなった人物が登場する15世紀まで早送りします。

その人物とは、帽子が特徴的なこちらの男性。

彼の名は、ヴラド3世。
またの名を「ヴラド・ドラキュラ」


このドラキュラとは「ドラゴンの息子」という意味です。

由来ですが、父親がドラゴン騎士団の団員に任命された事から「ドラクル」と呼ばれており、ヴラド3世はその息子だから「ドラクルの息子=ドラクルア(英語読みでドラキュラ)」と呼ばれていた、という訳。


ちなみにヴラド3世も「ヴラド・ドラキュラ」の呼び名を気に入っており、本人直筆と思われるサインには "Wladislaus Drakulya"(ヴラド・ドラキュラのラテン語表記)と書かれているそうです。


さてこのヴラド3世は何者かと言うと、13世紀末〜19世紀半ばまで今のルーマニア南部に存在したワラキア公国の君主です。

(ルーマニア地図。黄色い場所がワラキア。)


とにかく冷酷な性格で、逸話が色々あります。

⚫︎有力貴族を酒宴でもてなし、油断した隙に皆殺しして自身の権力を強める

⚫︎治安維持、病気の流行抑止と銘打って、ジプシーや病人を建物に閉じ込めて放火

⚫︎自国の流儀で帽子を取らないと主張する使者の頭に帽子を打ちつける



中でも有名なのが、「串刺し公」と呼ばれる所以となった出来事。

当時ワラキア公国はオスマン帝国の属国でした。

そのオスマン帝国から税金の値上げを言い渡されますが、ヴラド3世はこれを拒否。



するとオスマン帝国から税金を取り立てる使者が送り込まれますが、その使者達を「無礼があった」と串刺しにしてしまったそうです。

(ヴラド3世の串刺しの様子)

その後、ヴラド3世はオスマン帝国君主の首を狙って奇襲をかけます。



その際、オスマン帝国側の兵士2万人を串刺しにして殺害しました(2度目)

しかし結局オスマン帝国君主の命を取ることには失敗し、向こうから反撃されそうになります。

ところが大量の串刺しにされた兵を見たオスマン帝国は戦意喪失し、そのまま退却したと言います。





しばらくして、印刷技術が発明され

"ヴラド3世は
無差別に人を殺し、その血肉で宴を開いた、
田畑を燃やして農民を飢えさせた"

等と捏造・誇張して書き立てられたパンフレットが各国に配られます。

配らせたのはハンガリー王。
反オスマン帝国派から賞賛されていたヴラド3世の評判を下げたかったそうです。

こういった様々な逸話から、ドラキュラ伝説が生まれたと考えられます。


…とここまで書いておいて何ですが、実はドラキュラのモデルとなったヴラド・ドラキュラことヴラド3世は、ドラキュラ伝説の舞台と言われるブラン城には住んでいなかったという説が有力なのだとか。

実際ここに住んでいたのはヴラド3世の祖父で、小説「ドラキュラ」の影響で誤った認識が広まったそう。

ブラン城は、その後ルーマニアの複雑な歴史と共に 所有権が王妃から政府まであちこちに移りました。
(記事が長くなってきたので、今回は割愛)

今日でも「ドラキュラ伝説発祥の城」と言われ世界中から観光客が押し寄せる場所だそうです。


…とここで終わってしまうと、タイトルに偽りありになってしまうので(汗)

最後にブラン城の写真をいくつか貼って、お城の紹介に代えさせていただきます。


謎めいた雰囲気で、本当にドラキュラがいてもおかしくなさそうですよね??(←自己弁護)

(雪に覆われたブラン城。
by Mennowijnen, CC BY-SA 3.0 ro
 Wikimedia Commons )

(要塞時代の名残か?1階と3階を結ぶ秘密の廊下。
by Alessio Damato, CC BY-SA 3.0
Wikimedia Commons )

Author: droblyen / pixabay.com

(Author: MMZ84 / pixabay.com )


(by Christian Bortes CC BY-SA 3.0
Wikimedia Commons )


(中庭の井戸。彫刻が美しいです。
Author: falco / pixabay.com )


(Author: danieldudu / pixabay.com )

◆もっとドラキュラを知りたい方へ[‘21. 12.21追加]

歴史総合サイト「レキシル」でライターとしてご活躍のnoteクリエイター・ユリ/Yuri さんが、レキシルに寄稿されている記事をご紹介させて頂きます。

私のように吸血鬼=牙を生やしたマント男というイメージをお持ちの方は、目から鱗が落ちると思います。

膨大な情報をとても読みやすくまとめて下さっていて、更に関連書籍や映像作品も取り上げておられます。
知的好奇心旺盛な方なら、どなたでも満足できることうけあいです!


↓↓ユリさんのnoteはこちら↓↓


参考

Wikipedia(日本語)
トラベルjp
Travel Book
武蔵野市
↑吉祥寺で有名な武蔵野市は、東京オリンピックでルーマニアのホストタウンだったそうです。

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