高校生の時、「何者」かになりたい。なんて一ミリも思ってなかったのに。

高校生の頃、朝井リョウさんが書かれた、「何者」という本を読んだ。

バンドで活躍したり、就活を迎える大学生たちが、自分の能力や強み、存在意義を認めてもらいたいかのように、前面に押し出す。
それを「何者」でもない主人公が、憧れを隠すように、俯瞰的に、嘲りつつ見ている。
そんな状況だったと思う。(記憶が確かでなくてすみません)


読んだ当初、「誰かに存在を認めてもらいたい」という気持ちが全くわからなかった。

高校時代は「勉強」と「友達」それだけでいっぱいだったからかもしれない。

当時の私を取り巻く要素は、この2つだけだった。
すなわち、承認欲求を満たす手段はこの2つだけだった。

とはいえ、勉強は出来ようが、出来まいが、それが他人から認められる材料だとは思ってなかった。
勉強は自分のためだけにやる。それだけだ。


友達に関しても、仲良くしてくれる子がたくさんいたので、寂しくなるほど飢えてはいなかった。


ところが、大学に入ってから、存在を認めてもらいたい気持ちが、痛いほど分かるようになった。


おそらく、
・自分を表現する方法・選択肢が増えたこと
・人間関係が高校の頃よりも希薄になったこと
・誰かの役に立てる喜びを体験したこと

が原因だと思う。


私=○○という肩書が欲しい、強みが欲しいと思う今日この頃です。


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