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祈りのチカラ

日本人は無宗教の方が多いこともあるからか?
祈る機会が殆どない気がする。
日常の中でも、神社に参拝した時やお墓参りくらいしか日常に祈りというものは習慣化していない人が多いのではないか。
かくいう私も無宗教、祈るということは日常において
殆どなかったように思う。

誰かに言われたからでもない。
少し前から眠りにつく前、眠りから覚めた時
何気なく、心に大切な人たちをひとりずつ思い浮かべて、「今日も〇〇が幸せでありますように」と祈るようになった。
これは神社参拝でお賽銭の後に、思考で願い事を唱えるというものとは違い、
もちろん声にも出さなければ合掌もしない。
ただただ、心の中に大切な人たちの笑顔をひとりずつ思い浮かべて、幸せを願うということ。
祈りというと大袈裟なことにきこえるかもしれないが、ただただ静かにハートで感じるという感覚だ。

これをした後には必ずハートチャクラがポカポカして
、私が祈った対象は自分ではない他者なのに
自分が幸福感に満たされる感覚になる。
自然と日常的に祈りをするようになってきたのは、
インナーチャイルドの傷が癒えてきたから。
だから傷ついた相手に対して、心から祈り、
さらに自分まで満たされる感覚を味わえるようになったのだと思う。
傷が癒えてない状態の私では、もし誰かに
「他人の幸せを祈りなさい、願いなさい」なんて言われたとしても全力で反発していたと思う。
祈りとは思考でするものではない。
心で感じるものだから。

今年も年明け早々から、外側の現実ではいろんなことが起きているが、私たちにできることは何も直接的なボランティアや救援物資だけではないはず。
たとえ見知らぬ人でさえ、みんな集合意識では繋がっている。
だからこそ、当たり前の日常をおくれている私たちにできることは、ただ目の前にある自分にできることを変わらず淡々と活動することで社会経済を回すことでもあり、
祈りで辛い方たちへのエネルギーを届けることでもあると思う。

私の日常している祈りも、敢えて相手(といってもたくさんの存在を対象としている)にも、
何か感じた?なんてわざわざ聴いたこともないけれど、
根拠はなくても必ず届いている確信がある。
その日1日が心穏やかに過ごせることを、ただ静かに祈っているだけ。
2025年7月問題も、かなり大々的になっているが、
それ自体に意識を向けてもどうにもならない。
なるかならないかそこじゃない。
もちろん現実的な備えをしていくことは大切だと思う。でも、あまり必要以上にそれ自体に意識を向けることにメリットはないと思う。
未来のことに意識を向けすぎること自体が、
不安や恐れにしか向かなくなってしまう。
それよりも、今の自分を大切にしたい。
何が起きても、起きなくても、自分は絶対的に安心している土台をつくること。

個人的に少し前から、私は現実的な変化が起こりはじめてじわじわと追い詰められてくるのを感じ始めていた。
敢えて誰かに話したりはしなかったが、たとえば誰かに話したとしたら「え、やばくない?今すぐ対処しないとかなり危険じゃない?どうして焦らないの?」と言われる事態が起きていた。
確かに私も、思考では「おいおい、そんな呑気にしてちゃあかんやろ。やばいって、どうすんの?」ってエゴが何か言ってきていたが、
不思議なことに心が落ち着き払っているのだ。
根拠なんてないけど、崖っぷちだけど〜
なんかわからないけどなんとかなる気がする。
そんな心境。
これが魂の状態なんだろう。
多分ねーそんなこと起こらないよ。ギリギリのところで回避できる気がする。宇宙が助けてくれるよって。
まぁそれより今日あそこ行ってみない?
そんな内側から湧いてくる魂の声に乗せられて、
乗り物であり、入れ物の私はとりあえずその先に出かけてみた。

本当に何とかなった。むしろ、どうしてもっと早くこうしていなかったんだろう?と思える状況が起きた。
それは、これまでの私であれば頑固として
絶対に受け入れられないような、これまでの価値観を丸ごとひっくり返すような行動をとったのだ。
物事の停滞を感じた時ほど、真逆のことをやってみる。これはかなりバンジーでもあるけれど、その先に見えた景色は全く未知の世界だった。
ひとりの問題だと思い込んでいたものを、あかの他人が寄り添って手を差し伸べてくださる。
なんてありがたいんだろう。感謝がわいてきた。
これも思考で「敢えて真逆のことをしてみよう」等と考えてしたことではない。
促されるままに行動した結果。

元を辿れば、日常の中で習慣化しつつある「祈り」の効果がエネルギーとして広がり、
エネルギーという形で返ってきてくれたのだと感じる。
祈るという言葉はどこか神格化してしまったり、大袈裟なものにきこえてしまうものだが、
今この瞬間に意識を向けることでもあり、感謝を感じることでもあり、さらには執着やエゴさえ手放すということでもあるのではないか?

タロットカードでSTARのカードを眺めていると、水を流している。多くの人はSTARのカードをこのようにはリーディングしないかもしれないが、私はこのカードを見ると
「執着やエゴを水に流す(手放す)からこそ、純粋な(魂の)自分を取り戻すこと」だと感じる。

祈ることとは、自分以外の存在に穏やかなエネルギーを送ることでもあり、何よりも「自分自身をニュートラルにしてくれる」ことなのかもしれない。

インナーチャイルドの傷が癒えてない段階では、なかなか腑に落ちないと思うけれど、
傷の癒しが進んできた方にはぜひともおすすめしたい。
祈りの力は、時間や距離を超えて必ず伝わり、
それは必ず自分にもベストな形で返ってくることを感じられる今日この頃。

昨夜は早寝したので、かなり早朝4時くらい?から起きて祈りをした私。
最近一気にやりたいことがたくさん出てきて、何から叶えてあげようかとワクワクしている。
天気もいい!(花粉対策はしましょう。。。)
自分の中の女性性の願望を、自分の中の男性性が叶えてあげる。
そうして、また女性性は男性性に対しての感謝や信頼感が強化され、
男性性もそんな女性性をみて喜びを感じ、もっと叶えてあげたくなる。
計画なんて何もない。ただただ今その瞬間に、感じたことを形にしていくだけ。

祈りって形式も関係ない、心で感じるままに感じるだけ。瞑想よりもずっと敷居も低くて、安心感が半端ないので、ぜひ多くの人に伝わるといいなぁ。

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