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「お酒が飲めないことで困ったことはない」というお話です。そして武士の礼法も少し話します。

私は昔は全くお酒が飲めませんでした。

体質なんでしょうね、我が家は両親もお酒に弱く、缶チューハイをコンビニで1本買ってきてみんなで4等分して、親父は飲み切る前に顔を真っ赤にしてのてしまうような家庭だったので、家にお酒があることは無い生活でした。
そしてそうなると、同じように酒に弱い後輩(当時は就活を控えた学生)から、
お酒が飲めないことで、社会に出て困ったことがたくさんあったのではないですか?
と質問されたのですが、そんなに困ったことはありませんでした。

もちろん、「俺の酒が飲めないのか」と言ってくる先輩や、
勧められた酒は飲むものだ」などと命令してくる上司も、いなかったわけではありません。

でも、飲めないものは飲めないので乾杯の際に口をつける程度には付き合いますが、「なぜ飲めないのか」と言ってくる相手には、「飲めないものは飲めません」と堂々と言ってました。

それで不都合が起きたかというと、そのことでチクチク言う上司や先輩がいた程度で、特にそれほど大した影響はありません。

俺の勧めた酒が飲めないのか」と言ってきた人で、尊敬に値する発想力の持ち主はいなかったし、今もその名前を聞くと言う人は、一人もいません。

酒が飲めないことで困ったことは、ワインや地酒のうんちくを語る場に入れないぐらいで、特に大きく困ったことはないです。

でも、例えば10億円のビッグプロジェクトがあってその商談が酒の席で決まるとして、酒を断ることでそのチャンスがなくなったら
みたいな仮定の話をしてくる人も必ずいて、
そうなったら飲むしかないよね
という答えを期待しているっぽいのですが、ごめんなさい関係なしです。

酒が飲めない程度で吹き飛ぶような仕事は、そんな程度のことで頓挫し、そんな程度のことで簡単に裏切られるような仕事です。
酒を強要するような人間が持ってくる仕事など、たかが知れているのです。

少し話題を変えますが

江戸時代の武士の世界では、家来は上からの命令は絶対服従で、酒を断ったぐらいで斬り殺されてしまう、というような厳しいイメージがありますが、実はそんなことはありません。

武士は酒ぐらい飲めるようになれ、と教えられるのではなく、武士の時代にも飲めない人間というのはいて、そういう人への配慮も決まっているのです。
もし、酒が飲めない人間が、武士の集まる酒の席に出席した時はどうするか。

下戸の側も
私は下戸です
とは直接言いませんが、お酌をされる時に、お酌をする人の顔を見るのです。

普通は盃のほうに目を下げるのが礼儀ですから、お酌する人に目を合わせるのは異例のことですが、これが
私は飲めません」の合図なのです。

そして、酌をする人もその合図を察知して、口をつける程度にしか注がない。

それについて、亭主やその場にいる人たちも、
おい、注いでないぞ」とは言わない。

それで「注いで飲んだことにする」のです。

これが、武家の礼法です。

武家の礼法とは、「やせ我慢」ではありませんでした。

酒はやせ我慢してでも飲むのではなく、無下に断らなくてもさりげなく断る作法はあるし、飲めない人には飲めない人への配慮が決まっている。

つまり、武家の礼法とはやせ我慢ではなく「慎みと気配り」なのです。

例えば、武士は真夏に羽織袴を着ていても、汗をぬぐうことは慎むべきとはいうものの、どうしても暑くてしょうがないという時には、
扇子を二、三間開いて、下方で扇ぐ
というのがよしとされていました。

つまり、暑さをやせ我慢するのではなく、扇子で扇いでもいいよ、という配慮があったのです。

ただし、扇子を全開で開けっぴろげに扇ぐのではなく、2、3間ほどちょっと空けて、しかもその風が他の参列者に行き届いたり他の人にもその仕草で暑さを感じさせることのないよう、下のほうからこっそりと扇ぐのです。

また、武士は正座をするのが当たり前なので、足がしびれてでもやせ我慢して座り続けるものだ、と思いがちですが、これも足がどうしてもしびれた時は親指で立ちお尻を持ち上げる、という逃げ道としての座り方も、作法にはあります。

それが作法なのですから、それを目にしたほうも、
「人の目の前で扇ぐな」
「正座を崩すんじゃない」
といちいち強要はしなかったのです

何が言いたいかと言いますと

上司の勧める酒が飲めないのか!
という人は、部下に社会人としての礼儀作法を教えているつもりで、実は自分が礼儀作法が分かっていないのです。

こういう話を書くと、必ずと言っていいほど、
でもうちの業界は、酒は絶対に仕事の必需品で、酒が飲めないと仕事にならないのです
などと反論してくる旧人類が出てくるのですが、そう頑なに思っている人ほど、また自分が上の立場になったら下に強要します。

そういう人が幅を利かせていて、またそれを「しょうがない」と思っている人ばかり、という業界は、ちっとも発展していきません。

今まではそういう時代だったかもしれませんが、それなら今までが特別だったのです。

強要をすることが礼儀ではないし、強制をすることが作法ではありません。

相手に「慎みと気配り」ができる人ほど、信頼を集めるようになる人間です。

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