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ずっと逃げてた「自分の夢」に取り組み出した私(最初の変化)

この記事は前回の続きです!前回の「逃げてた夢に向き合った話」はこちらからどうぞ↓

私は「芸術家になりたい!」という、自分の根底に近い夢に気づくことができました。それはとても嬉しいことでした。実際、絵画を描いてる時間は楽しくてしょうがなく、我を忘れて没頭できるのです。

・・・あぁ、こんなに魂が喜ぶことを見つけて私は幸せだ!
本気でそう思いました。

最初に描いた絵はこれです。

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・・・私はこれを見た、皆さんの気持ちがわかります。

なんやこれ?と思ったでしょう。

ちなみにこれは「人間の足」を描いたものです。人間の輪郭をそのまま描かずに、でも肌の質感や、血が通ってる雰囲気・・・そういう「人間の足の要素」だけを抽出した作品です。

これは、私が今まで抱えていた、いろんな固定概念から脱出したくてもがいた結果生まれた作風です。

「絵が上手くないといけない」「写真みたいに描かないと上手いと思われない」「綺麗な絵を描かないと理解されない」

・・・そういう概念が今まで苦しかったのです。
そこであえて「輪郭」を曖昧にすることで、見てる人はこれを「人間の足」と思わず、純粋なその人の感性で作品を楽しんでくれるのではないかと思ったのです。

その後もどんどん調子よく作品が生まれます。

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↑これはピーマンです。

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↑これは「傷ついた皮膚」です

今まで自分を苦しめてた「概念」から抜け出せるきっかけになる作品に出会うことができて私は、

わ〜〜〜〜はははは!ヤッタァ!抽象画楽しいぞ〜〜〜!ははは!

と、ハイになってました。
この絵は私の「自由の象徴や!うぉおおお!」みたいな感じです。

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「ハイからのコンペ」

私は1ヶ月間の間、「俺は自由だハイ」になって抽象画を描きまくってました。
しかも、ハイだったので、現代美術のアートコンテストにひょっこり応募したのです。

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最近、絵画を始めたばっかりのくせに、結構大きなコンペに「はははー!わっちの自由をとくとご覧あれ〜!」みたいなテンションでエントリーし、1mのサイズの絵を本当に描きあげたのです。

もう、入賞するかどうかなんか、微塵も脳みそにありませんでした。

そこからますます私のハイは加速し、どんどん新作を生み出します。「これや!これがやりたかったんだ!」私はそう思いました。

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「苦しみはじわりとやって来る」


それは、いつものように抽象画を描いている時にやって来ました。

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・・・ふと、こんなことが頭をよぎったのです。

「これって誰の役に立ってんの??」

私は、今まで3年間フリーランスとして、漫画やイラスト、PV映像などを受注して制作してました。その時には必ず「クライアント」さんがいて、「届ける相手」がいたのです。

ですが、今私がやってるこれは、一体誰の為になってるの・・・?と考えるようになって来たのです。

そう考えると、もう恐怖が止まりません。

「え、これで暮らしていこうとか、マジ?」
「誰にも求められてないのに?」
「需要ないのに?」
「だって自己満なのに?」

そんな言葉が脳内をメリーゴーランドします。

そもそも、自分を喜ばせることと、人を喜ばせることはなぜイコールではないのか?
魂の喜ぶ生き方を始めたのに、社会では逆に生きづらくなってるんじゃないか・・・?

そんな不安が渦のようにワーーーっと駆け巡ります。


・・・世の芸術家はこんな気持ちに日々晒されてるのか、と思うと、半端ない精神だなとゾッとしました。

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「画家の幸せ」

画家をやっている彼氏が、昔こんなことを言ってました。

「画家はね・・・いつもそういう恐怖を抱えてんだよ。みんながよくいう「幸せ」ってあるじゃん?いい家に住みたいとか、美味しいご飯食べたいとか、お金欲しいとか・・・そういうのを”幸せ”だと思うと、もう、心がダメになるんだよね。

むしろ、絵で悩めることが幸せなんだって思わないとさ。あと、”生きてるだけでOK”くらいハードルを下げないと、もたないねぇ」

最初この言葉を聞いた時には、その意味が全然分かりませんでした。

「え?絵画って楽しくてやってるんじゃないの?」と思ってました。

しかし、いざ自分が絵画をやりだして「芸術家になりたい!」という夢を持った(てか気づいた)とき・・・

こんなんじゃ、やっていけないんじゃないか?

という恐怖がやって来ました。

それは、今まで感じた恐怖とは少し違いました。

「生きていけない」という生存本能に訴えかけるレベルの恐怖です。

私は思いました。「自分の夢を諦めた」という人は、”勇気がなかった”と言いますが、それよりも、夢を追うと「生きる」という人間の絶対的本能を脅かすレベルの恐怖が湧くのだなぁと感じました。

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「それでもやるかどうか」

私は今でも抽象画が好きだし、確実に「コレだ!」という感覚があります。
ですが、私の魂の「コレだ!」に近づけば近づくほど、

大衆に理解されないような絵が出来上がって行くのです・・・

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↑コレは人の細胞です。

↓きっと、こういう絵の方が理解されるし、人に喜ばれるんだなぁと頭ではわかってるのです↓(これも私が描いた絵です)

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ですが、心はあの抽象画を求めてるのです。

いやぁ、なんだか「話が違う!」とおもいました。よく「心にしたがって生きよう!」とか「ワクワクすることをすれば上手く行く!」とか、いうじゃないですか。

私コレめっちゃワクワクしてるんですけど!!!↓

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むしろ、上手く行くどころか、需要もないし、不安だし、将来につながる兆しも見えないし、どう考えても上手く行ってないんですけど!

と、思いました。

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「心の闇と向き合う」

そこで私は思いました。私は「自分の本当の夢」と向き合ってるのだとばかり思ってたのですが、先ほど挙げた

●こんなので食っていけるのか?
●需要がないんじゃないか?
●心に従ったのに上手くいかないのはなぜ?

あくまで私の中の固定概念なんじゃないかと思いました。

夢で生活してる人も、みんなから求められてる人も世の中には沢山います。なので「夢」自体が悪いのではなく

私の中のマインドセットがそうさせてる

んじゃないかと疑問を抱くようになったのです・・・。

じゃあ、「夢を見つけた」次にやることは
自分の心の中にある「固定概念」や「思い込み」に向き合って、これらを消してゆく作業なのだと思いました。

次回の記事では

「固定概念と向き合った」ことを記事にしようと思います!

続く

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