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逃げてた自分の夢と向き合った話

こんにちは!最近暑すぎですね・・・地球の温度設定どうにかならないもんでしょうか??

はい!今回は「夢から逃げてた」お話をしようと思います。

私は現在、フリーランス4年目で、去年までは東京を拠点に活動しておりました。
仕事は主にハンドメイド作家・映像作家・デザイナー・立体作家・漫画家などです。(多い!笑)

特に初期の方は、ハンドメイドを中心に活動をやっておりました。↓こういった粘土の作品を制作・販売していました。

ハンバーガー1

しかも、これが月に150〜200個ほど売上があるので、もう毎日必死で粘土をこねこねしておりました。当時は粘土だけで、東京の2DKの家賃を支払っていましたね。
今はネットのみの販売になっておりますので、もしご興味のある方はぜひ!

スクリーンショット 2020-04-30 22.51.51

↑家の中がすごい状態に・・・

ちなみに、ハンドメイドの活動に一番力を入れたのは最初の1年ほどで、後の2年間は画家・映像作家・イラストレーターなど、少し専門的な制作をしておりました。

・・・なんせ、ハンドメイドは時間がかかるので、これだけをやってると、ほかの制作ができなくなるのです汗

仕事の規模としては大きくなってゆき、お仕事経歴に書ける内容もぐっと増えていきました。

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「ここきにて初心に帰る」

しかし、私の中で「あれ・・・?このままでいいのかな・・・?」という不安の波が訪れました。
正確には、実はフリーランス2年目の時から、その不安は私の脳裏をかすめていたのです。でも、その存在を無視してここまでやってきたのです。

「私は・・・何か、大事なことを忘れている・・・」

しかし、”大事な何か”を思い出せないのです。

・・・気づけば、7年間住んでいた東京を離れ、地元の北九州に戻ってました。

それに、東京にいる以上、最低限の「家賃や光熱費などの高い維持費」ため、その大事な「何か」に目をつむり続けなければなりません。
・・・そう思った時、目の前が真っ暗になりました。

「あれ・・・私このまま東京にいたら、大変なことになるぞ。」

去年の12月くらいから、周囲に、そう漏らしてました。
「東京にいてはいけない」と何度も口にしてました。

そして今年の2月に地元の北九州に戻ってました。
その「何か」を探すために・・・。

しかし、私があまりにも「東京は(私にとって)危ない!」と去年から言いまくってたせいで、周りの人が、私のことを「いや〜東京、いまコロナ大変だからねぇ、本当に帰ってきてよかったよ、君には何かそういう能力があるのかな?」みたいに、謎に「コロナの預言者」扱いされてて、ちょっとそこは面白かったです。

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「大事な”何か”から逃げてた自分」

私は、北九州にいる間、その忘れている「何か」を探してもがいてました。

そして、最近ようやくわかってきたような気がします。

私がフリーランスになる前、本当は「芸術家」になりたかったのだけど、それを東京でやっていく自信がなかったのです。

いきなり絵で売れるのは無理だから、知名度と人脈をつけるために、いろんな人と、まずお仕事をするんだ!!

当時、そんな考えで独立したような気がします。

でも、いつまでたっても

●もっと安定したら芸術家になろう
●もっとSNSのフォロワーが増えたら芸術家になろう
●もっとYouTubeで知名度上がったら芸術家になろう

・・・
私が「芸術家」になるための条件は満たされませんでした。

私は”戦略”と称して本当の夢から逃げていたのです。

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「気づけば不眠症」

北九州に戻って数ヶ月、私は不眠症にかかりました。
ひどい時には朝の7時まで眠れません。当然、1日がものすごく短くなりました。

毎日、布団に入ると頭の中で
「早く成功しなきゃ、有名にならなきゃ、お金を稼がなきゃ・・・」
と、焦らせてくる自分と

「おい、お前そろそろ覚悟決めろよ」と、腹の底からの声がぶつかり合って

わぁああああ〜〜〜〜!

と脳内小爆発を起こしてしまうのです。

・・・このままでは、イカン!と思い、私はYouTubeでいろんな「成功者」の動画を見あさり、マーケティングやブランディングなどの本を何冊も購入して読みました。

早く成功しなきゃ。東京でダメだった分を取り戻さなきゃ。
何かに急かされるままに、私は自分の脳内に「他人の成功データ」を刷り込みました。
しかし、それを実践しても逆に焦りがますばかりです・・・

むしろ成功者の言ってることに当てはまらなかったら「やっぱ私ダメなのかな?」と思い、かえって自己否定が強くなりました。

そして、ついに


・・・・あれ

私ってもしかして、才能ない?

と思ってしまったです。産まれて初めてそう思ってしまったのです。

これは、相当やばいことでした。
なぜなら、私は2歳の頃から「私、才能ある!画家になる!」と思いたち、そのまま28歳まで生きてきたのです。

今まで、たとえどんなに他人に意地悪をされようと、否定されようと、自分の中にある「私は才能があるから大丈夫」という自信が揺らいだことはありませんでした。

・・・というか、これが全てでした。

ですが、この魂の根源でもある、「私は才能あるからオッケー!」という信念が、初めてポキッと鳴ったのです。

これは、相当まずいな・・・と自分でも思いました。
ここで決断を間違えると、私はもう、アートの道に戻らなくなるかもしれない。
それくらい岐路に立たされました。

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そこから約1ヶ月、私の「本当は芸術家になりたい」という自分と向き合う旅は始まったのです。


続く



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