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百卑呂シ随筆

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#ふるさとを語ろう

メロン

 娘を連れて帰省した際、山陽道のサービスエリアに立ち寄ったらアンデルセンの店があった。  アンデルセンは広島の大きなパン屋で、子供の頃に何度か連れて行ってもらったことがある。クリームパンが大いに美味かったように思う。  ちょうど昼時だったから、そこでパンを買うことにした。 「アンデルセンはね、クリームパンが美味しいのだよ」と娘に教えてやったけれど、娘はあんまり興味もない様子で、別のパンを指差す。 「サンライズって、何?」 「今風に云うとメロンパンだよ」 「じゃあこれにする」

鳥の声

 今の家に住み始めて十年ほどになる。  最初は随分鳥の多い所だと感じた。雀のような小鳥ばかりでなく、白鷺も青鷺も雉もいる。  それから、何だか知らないけれど鷺より少し小さめで嘴が黄色いやつもいる。この鳥を妻と娘はキイバシと呼んでいるから、てっきりそういう名前の鳥だと思っていたが、それは勝手に付けた名前で、本当はケリというのだと、先日たまたまテレビで知った。  近頃はどうやらこのケリが近くの田圃に巣を作ったようで、番でいるのをよく見かける。鳴き声が存外うるさい。  去年、庭の

深緑、ガラス

 幼い頃に何度か、隣町の喜多田さんの家へ母と行った。  喜多田さんは母の学生時代からの友人で、何だか声の大きなおばさんだったと記憶している。  喜多田さんのところにはコウタ君という、自分より一つ上の男の子がいたから、母親同士が喋っている間はコウタ君と一緒に遊んだ。  何をして遊んだかは、もうあんまり判然しないけれど、彼が一休さんの絵を随分上手に描いていたのは覚えている。アニメキャラを描くにしても、一休さんを描く子はこれまで他に見たことがない。それで覚えているのだと思う。  後

新宿に至る道

 小五の時に藤本の家で遊んでいたら、先方のお母さんがおやつにと、マクドナルドのポテトを買って来てくれた。  ちょうど、マクドナルドが近くに初めてできた頃である。それまでは広島市内の中心部にしかなくて、自分らのような田舎の子供はあんまり目にする機会もなかった。  藤本のお母さんは、その近くにできた店で買ったのだと云った。近くとは云っても隣町だったから、もうきっと冷めていたと思うのだけれど、この時は随分美味くて驚いた。  それが自分の初マクドナルドだった。  中学生になってから

夕空とUFO

 幼稚園に行っていた頃のこと。  ある夕方、家の前で遊んでいたら、小佐田君が不意に空を指して「あれ、何じゃろ?」と言った。  見ると、西の山の上に細長い物が浮いている。 「何じゃろうねぇ?」 「UFOかも知れん」  そうして暫く眺めた後、小佐田君は「……わし、もう帰るわ」と、走って帰った。  自分も怖くなって家に入った。  五時になると「良い子はお家へ帰りましょう」と放送が流れるのだけれど、それより前に帰ったものだから、母が意外そうな顔をした。 「小佐田君は帰ったの? ケン

飛龍在天、廃屋

 郷里の広島で中学生だった頃、いつも窓を開け放している家が通学路にあった。昔ながらの家屋で、壁に「飛龍在天」という書が掛けてあった。  飛龍在天とは格好がいい。きっと元は武家だろうと思っていたが、実際どうかはわからない。  飛龍在天から百メートルほどの所に、空き家があった。建物も庭も荒れ放題で、何だか気味が悪かった。  板壁の建物が通りに面した位置にあって、敷地の奥には別の建物がある。手前の方は元は店舗だったのかも知れない。  その建物の入口の上の板に、会社名と住所と電話番

蛇と魂

 中学校三年生の時、先生に云われて校庭の傍にあるバレーコートの草刈り・草むしりをやった。  バレー部でもないのにどうしてそんなことをさせられたか、もう判然しないけれど、三年生全員がどこかの掃除を割り当てられて、たまたま自分がバレーコートのグループに入ったものだったろうと思う。  数人でだらだらやっていたら、一人が突然「おわ!」と大声をした。 「蛇じゃ!」  見ると確かに蛇がいた。ちょうど草を刈ったところに潜んでいたらしい。 「おぉ!」 「蛇じゃ!」  蛇も驚いたようで、コー

蛙おばさん

 家の周りに田圃が多いから、近頃は夜寝ようとすると、外から蛙の声が随分聞こえる。  蛙という生き物は気持ち悪くて好きじゃないが、夏の夜に蛙の合唱を聞くのは好きだ。郷里の家も寝る時には賑やかに聞こえていたから、何だか幼い頃に戻ったような不思議な心持ちになる。そうして人生の最後についてぼんやりと思いを巡らせる。  気付いたら子供に戻っていて、日が暮れるまで外で長田や飯田やヨシコさんと遊び、晩ごはんの後で風呂に入り、両親が隣の部屋で話しているのを聞きながら、眠りに落ちる。窓の外から

忘れられない菓子

 小三の時、隣の校区まで松岡と福田と自転車で遠乗りした。校区外へ子供だけで出ることは禁止されていたから、随分どきどきしたのを覚えている。  福田と自分は、現地の子供らに見つかって絡まれたら先に叩きのめそうと決めていたけれど、松岡はそんなことは考えもしないようだった。  全体どこまでが校区内だったか判然しないが、延々走って行ったら隣の小学校近辺に出た。当時は初詣の時ぐらいしか足を踏み入れなかったエリアである。  いつどこから「こらぁ!」と怒られるか、或いは「お前ら、第三小じゃ

防犯、格好いい先輩

 娘が、小学校から使っている防犯ブザーを直してくれと持って来た。試しに鳴らそうとしたら音が出なかったのだそうだ。   自分が子供だった頃には防犯ブザーなんて誰も持っていなかったけれど、今はみんなが持っている。時代が進んで悪いやつが増えたのかと思ったけれど、悪いやつをメシのタネにする人が増えたのかも知れない。  小学生の時分に近くの公園で連れ去り未遂があった。隣家のお姉さんが謎の男に腕を引っ張られたのである。友達も一緒になって手を振りほどき、家まで走って逃げ帰ったそうだ。

存在の証、混乱

 ゴールデンウィーク連休で娘を連れて帰省した。  娘がどこかへ出かけるよりも祖父さん祖母さんと家で過ごしたいと云うので、ちょっと買い物へ出た以外はずっと実家にいた。  近所に新しくできたカフェで食事をしながら、母が、伯父さんのお墓参りに行ってきたのだと写真を見せてくれた。  この伯父と云うのは母の妹の旦那さんである。やっぱり元は広島の人なのが、随分以前に仕事の都合で東京へ移住して、先年亡くなった。  出棺の際に広島カープの歌で送り出したと聞いたけれど、お墓は広島でなく東京に

紙一重

 これの続き。  小四で釣りを始めて、最初は一向面白くなかったけれど、要領を掴んだら大いに楽しくなった。  いつも大体、松岡と楠山と行ったが、小五になって松岡も楠本もクラスが別れた。そうして新しいクラスで懇意になった藤沢と上野は、どちらも釣りをやらなかった。  ある時、「釣りやらん?」と二人に問うたら、興味はあるが道具がないと云う。  それで近くの山へ三人で行って、手頃な葦を取って来た。釣竿にする算段である。  家の前で葦の皮を取って糸を付けていたら、近所のおばさんが「釣竿

因果

 初めて釣りをしたのは小四の時だった。松岡と福田に連れられて、近くの川へ行ったのである。釣りには前々から興味があったので、約束をして実際に行くまで随分わくわくしたのを覚えている。  当日、福田の家に集合したら、福田が小麦粉に水と酒を入れて捏ねていた。釣りの前にクッキーでも焼くのかと思ったら、それが餌だというから驚いた。てっきりミミズとかそういうのを針に刺して使うのかと思っていて、それはちょっと触りたくなかったから安心した。  釣り場は、家と家の間の狭い隙間へ入って、その先の

非人情鉄階段

 小一の時、乳歯が抜けない内に後ろから永久歯が生えてきて、母に連れられて近所の歯科医へ行った。  歯科医は雑居ビルの四階にあった。変わった構造で、外側の鉄階段をカンカン昇って三階のドアを開けると、部屋の中に螺旋階段がある。受付も診察室もそれを昇った四階にある。  子供心に、その構造が随分非人情だと思った。  何しろ「嫌だなぁ」と思いながら外階段を登って、着いたと思ったら受付はまだ先で、そこから内階段で再び「嫌だなぁ」をやらせるのだから不親切だ。覚悟を決めて処刑台へ上がったら、