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飛龍在天、廃屋

 郷里の広島で中学生だった頃、いつも窓を開け放している家が通学路にあった。昔ながらの家屋で、壁に「飛龍在天」という書が掛けてあった。
 飛龍在天とは格好がいい。きっと元は武家だろうと思っていたが、実際どうかはわからない。

 飛龍在天から百メートルほどの所に、空き家があった。建物も庭も荒れ放題で、何だか気味が悪かった。
 板壁の建物が通りに面した位置にあって、敷地の奥には別の建物がある。手前の方は元は店舗だったのかも知れない。
 その建物の入口の上の板に、会社名と住所と電話番号が印刷されていた。
 看板かと思ったけれど、住所は大阪府吹田市江坂町云々とある。広島の片田舎でそんな住所を掲げるのはいかにも不自然だ。事によると、その板の加工元の社名・住所が印字されていたのかも知れない。しかしそんな所に加工元の表示なんてするか知ら。
 考え始めたらどうにも気になっていけない。ある時、電話番号をメモして帰り、家から電話をかけて見た。

「はい、◯◯株式会社でございます」
 何だか品の良さそうな女性の声だった。
「あの、ちょっとしたお訊きしたいんですが」
「はい、どうぞ」
「広島県の△△町に廃屋がありまして」
「……広島県の、……廃屋ですか」
 廃屋と聞いたら、急に怪訝そうな声に変わった。
「はい。その廃屋の壁に、そちらの会社名と住所と電話番号が書かれているんです」
「……はぁ」
「今もそれを見て電話したんです」
「……はい」
「何かご存知ないですか?」
「え?」
 果たして、随分困惑した様子である。
「壁に書いてあるんですよ」
「……あの、それは、壁に看板がかかっているということでしょうか?」
「看板っていう感じではなさそうなんです。壁の板に直に印刷してあるんです」
「……その家から悪臭がするとか、何かご迷惑をおかけしているのでしょうか?」
「特にそんなことはないようですが、どうして会社名がそんな所に書いてあるのか気になるだけです」
「少々お待ちください」
 それで電話は一旦保留された。ビートルズの『Hey Jude』がオルゴールで流れた。

 ややあって、元の女性がまた出た。
「担当部署に確認しましたが、やはりわかりかねるようです。申し訳ございません」
「ありがとうございました。お邪魔しました」
 そんなことに担当部署があるのか、と思った。
 それ以上確認のしようもないから、そのまま黙って卒業した。

 帰省してもその辺りへ行く機会がなかなかないのだけれど、あの廃屋は恐らくもうなくなったろうと思う。

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