マガジンのカバー画像

百卑呂シ随筆

285
運営しているクリエイター

2024年6月の記事一覧

飴と奈落

 自分が幼い頃、祖父の家は古い日本家屋でトイレが汲取式だった。  ある時、そのトイレへ行こうとしたら、穴の底から青白い手が伸びてきて尻をツルンと撫でられる気がした。全体どうしてそんな気がしたものかはわからない。何かのテレビ番組でそういうシーンを見たの知らと思うが、もう全く覚えていない。  自分は何だか怖くなって、あのトイレは使いたくないと駄々をこねた。  手が伸びて来てお尻を撫でられそうだと云ったらきっと笑われると思い、理由は云わずにただ嫌だと云った。  祖母は困った顔をした

変な客

 名古屋に来て間もない頃、ひどい風邪をひいた。どうも職場で小野さんからもらったらしい。  日中も咳とくしゃみと鼻水でつらかったが、夜中にひどい咳で目が覚めるのに大いに閉口した。単にゴホゴホ云うのでなく、コンクリートの壁に囲われた中でボールをぶつける残響音みたいな按配で、どうも人間の咳のようには聞こえない。そのうち喀血するんじゃないか知らと、随分不安になった。  その時分にはまだ若くて体力もあったから、そんなにひどくたって医者に診てもらうでもなく、仕事へも普通に行っていた。職

猫の獲物

 ある時、庭の草取りをしていたら嘉村さんの勝手口から猫が出て来た。 「おや、嘉村さんは猫を飼っているのか」  すると妻が「あらこんにちは」と、フェンス越しに言った。  知り合いみたいな調子だったが、相手は猫だから答えるわけもない。ただじっとこちらの様子を窺い、じきにどこかへ消えた。  茶色のトラ猫だった。ジャッキー・チェンの『スネーキーモンキー蛇拳』に出てきた猫もあんな色柄だったように思う。その猫が蛇を退治するのを見て、主人公が猫爪拳を編み出すので、猫とはいっても重要な役柄で

雪と缶コーヒー

 パスタ屋の店長をしていた頃、仕事中に雪が降り始め、あれよという間に五センチほども積もった。  雪はそれからシフトを終えて帰る準備を整えても、一向止む気配がない。  暫くバックヤードでバイトと喋っていたら、坂田が「やばいです」と言って来た。 「もう十センチぐらい積もってますよ。店長、もう今日は店に泊まりませんか? 酒もあるし」  坂田は何だか楽しそうだった。 「絶対に帰る」  車はノーマルタイヤで、チェーンも持っていない。平坦な道を選んでゆっくり帰ったら、駐車場にもどっさり

カブトムシ

 独身の頃に住んでいたアパートで、ある時玄関前にカブトムシを見つけた。  もうカブトムシで喜ぶ年ではないし、あんまり虫に触りたくもないのでそのまま放っておいたら、翌日もまだそこにいた。さらにその翌日もいた。  死にかけているのではないか知らと思ったが、別段弱っているようでもない。普通にのそのそ動いている。きっと夜にはどこかへ行って、食事を済ませて戻って来るのだろうと得心した。  一番奥の角部屋だったから、人に見つかる心配はあんまりない。カブトムシには比較的安全な環境ではあるけ

菓子を配る

 経理の婆さんが、最終出社日の夕方に、みんなに菓子を配り出した。  元来一癖ある人で、例えばこちらが電話中でもお構い無しに、書類を持って来て横から話しかける。相手にしていられないから他所を向いて電話を続けていると、その書類を置いて去って行く。電話を終えても再びやって来る様子はないから、仕方なくこちらが先方の席へ赴いて「これは何かね?」と訊ねると、「ここにハンコをください」と言う。  相手の様子を見て出直すなり、置いて行くなら付箋にでもそう書いて貼っておけば良さそうなものだが、

紫の雨

 十九の夏、スーパーマーケットの衣料品売場で紫の鼻緒が付いた畳の雪駄を見付けた。それが随分格好良く見えたので、買って帰って早速履き始めた。  畳敷きだから履き心地が良い。おまけに鼻緒が紫で凄味がある。これはいいものを買ったと大いに満足し、毎日履いた。  その時分には学生寮住まいで、寮内(屋内)ではスリッパを履いていた。  スリッパは実家から持って来たものだった。家から持って来たものをいつまでも身に着けるのは、何だか弱い気がするから、じきに寮内でもこの雪駄を履くことにした。  

クリアブルーの歯車

 まだ幼稚園に上がる前、海辺の雇用促進住宅に住んでいた頃に、母に連れられて何度か医者に通ったのを覚えている。何かの病気にかかったのか、怪我をしたのか、或いは予防接種だったのかも知れない。さすがにそれは覚えていない。  帰りにショッピングセンターへ寄ったら、おもちゃ売り場に大きなミクロマンが展示されていた。  ミクロマンは当時随分流行った玩具で、関節が可動式になった十センチほどの人形である。その店に飾られていたのは通常のミクロマンの倍ぐらいあったように思う。 「あ、大きいミク

愛着と決別

 横浜のパスタ屋で働いていた頃、時折、店を閉めた後でバイトのメンバーと食事に行った。  パスタ屋は午前二時閉店だったので、出かけるには随分遅い時間だけれど、街は割りに明るく、人通りもあったように思う。  そういう時代だったのか、あるいは横浜だからそうだったのか、今ではもう判然しない。  一緒に行くメンバーはいつも樋口と岩戸と小沢で、行き先は大体ラーメン屋か、近くのデニーズだった。  ある時デニーズで、樋口がコーヒーゼリーを注文した。じきにそれは出てきたが、樋口は皿を見ながら

イントネーション

 怖い話というか不思議な話が好きで、移動中などはよくYouTubeで怪談を聴いている。近頃は実話怪談のあんまり生々しいのは避けて、朗読系を聴くことが多い。  先日もその流れで適当に選んだ朗読チャンネルを聴き出したら、イントネーションが名古屋弁だった。それがどうも気になって、そっちへ気が行ってしまう。  これはきっと、当人が訛に気付いていないパターンだろうと考えたら、愈々気になって、話が一向入って来ない。  その内に段々、同僚の愚痴を聞かされているような心持ちになったから、とう

BMW

 小学生の時、隣に先生が住んでいたことがある。  女性の先生で、石田ゆり子に似ていたように思うが、随分昔のことだからあんまり判然しない。担任ではなく、受け持ちの学年も違っていたから、関わることはなかった。ただ隣に住んでいただけである。  隣は元々別の人の家で、暫く貸家にしていたらしい。先生は一年か二年ぐらいでよそへ引っ越したようだった。  やっぱり近所に、高校の世界史の先生が住んでいた。この先生は年輩の男性で、昔からそこに住んでいた人である。  三年生の時、この先生から教わ

屋上、春夏秋冬

 新井の見舞いで、呉市の総合病院へ行った。彼には高校時代に随分世話になった。まさかこの年で病を得るとは思いもしなかったから、土居から聞いた時には驚いた。  驚いたと云えば、高校時代の新井は見るからに悪そうな面構えだったのに、土居から見せられた写真は何だか真っ当な男前になっていた。新井だと云われたからそんなふうに見えたので、黙って見せられたら知らない人だと思ったろう。事によると土居のやつが別人の写真を使って担ごうとしているのではないか知らとも思われたが、そんな事をしたって何の得

すり替わる

 コロナの騒動が始まる前、学生時代のバンドメンバーだったナベから急に連絡が来て、四半世紀ぶりにライブをやることになった。  自分は大名古屋在住だけれど、他の者はみんな大阪近辺だったから、練習は難波でやった。難波は大名古屋から近鉄で行けて、新幹線を使うより安かったのである。  ある時、帰りにナベが売店の『面白い恋人』を指して、「ご家族にお土産でどうです?」と言った。面白い恋人は随分前から知っていたが、買ったことはない。 「そうだな、まぁ、買って行こうか」  小さい箱を買ったら、

メロン

 娘を連れて帰省した際、山陽道のサービスエリアに立ち寄ったらアンデルセンの店があった。  アンデルセンは広島の大きなパン屋で、子供の頃に何度か連れて行ってもらったことがある。クリームパンが大いに美味かったように思う。  ちょうど昼時だったから、そこでパンを買うことにした。 「アンデルセンはね、クリームパンが美味しいのだよ」と娘に教えてやったけれど、娘はあんまり興味もない様子で、別のパンを指差す。 「サンライズって、何?」 「今風に云うとメロンパンだよ」 「じゃあこれにする」