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混雑するのが嫌だから昼時を避けてフードコートへ行った。いつものラーメンをそう云って待っている間、気付いたら隣の席で唐揚げ定食を食っていたおじさんがいなくなって、テーブル上に彼のと思しきスマートウォッチだけが残っていた。席取りのためにこんな貴重品を置いておくとは考えにくい。きっと忘れ物だろうと思った。 下手に触って面倒事になってもつまらないからしばらく放っておいたけれど、おじさんは一向に戻らない。どうやらいよいよ忘れ物に違いない。 サービスカウンターに届けるつもりで手に取
昔、もうじき大学受験という頃に母が、今日は塾の帰りにどこかでご飯を食べて帰って来なさいとお金をくれたことがあった。 塾は広島駅前だったから、食べる店は周辺にいくらもある。どこにしようかと思っていたらカレー屋の看板が目に入った。 この看板は前々から見ているが、店がどこにあるのかわからない。この際それを突き止めてやろうと決めて看板の示す通りに進んだら狭い路地の奥にあった。これではわからないはずだ。 『笑ゥせぇるすまん』に出てきそうな感じの店で、高校生が一人で入るにはちょっ
山の上の住宅地から麓にある隣町の高校へバスで通っていた。 20分ぐらいで行ける距離だけれど、朝はひどく渋滞して1時間以上かかった。車内はぎゅうぎゅうのすし詰め状態で、ろくに身動きも取れないものだから甚だ気分が悪い。一月ほどで嫌になって、自転車で通うことにした。 自転車で長い峠道を駆け下りるのも、動かないバスを追い抜いていくのも、随分気持ちが良かった。 学校までは15分で着いた。隣町へ行くのに15分は随分速い。自分でも驚いたけれど、それより短くなることはあっても長くな
夕方になって、宿からお詣りに行った。 歩いて行くことにしたら、思ったより遠かった。途中で引き返そうかとも思ったけれど、もう少し行ってみようと歩くうちに到着した。辺りはもう薄暗くなっていた。随分疲れたから、土産屋で団子を食った。 それから境内へ入って拝殿へ向かおうとすると、警備員がやって来て「今日はもう終わりですよ」と言う。 「今来たばっかりなんで、ちょっとだけ待ってもらえんですか?」 「日が暮れてからのお詣りは神様に失礼だから、お断りするように云われてるんです」 警備
大学の近くに昔からあって、ずっと学生を見守ってきたような飲食店が好きだ。自分の行った大学前にはそんな店が何軒もあった。 今住んでいる近くにも大学はあるけれど、そういう店が全然見当たらない。これでは大学生活もつまらないだろう。 先日イゴールさんと外出した時、車の中でそんな話をしたら、「近頃は学内にいろんな店があるのだよ。うちの娘のところもそうだったよ」と教えてくれた。そう云われてみれば、大学内のおしゃれなカフェをテレビで見た覚えがあるけれど、自分の求める店とは立ち位置が随
横浜で一時期、老夫婦が営む古びたクリーニング店を利用していた。 ある時コートを預けたら、タグに油性マジックで名前を書かれて返ってきた。普通は名前を書いたカードを針金やホチキスで留めるところだが、老夫婦のことだから、そこら辺はあんまり深く考えずにずっとそうしてきたのに違いない。またお客も大概近所の常連ばかりで、先刻承知なのだろう。 おおらかな時代の名残に触れたようで、何だか微笑ましく思った。 今仲にその話をしたら、「他人の服に勝手に名前を書くなんて!」と大いに怒り出し
自分の通った高校は正門の前に大きなドブがあった。 春にはどす黒い水面に桜の花びらが浮かんで、いよいよ汚く見えた。全体、あんなに汚い桜は見たことがない。 いつも汚い水が淀んでいたから、夏は云うに及ばず、冬でも蚊が多かった。 当時自分は故あっていつも随分早くに登校し、大体毎朝学校の個室トイレで用を足していたのだけれど、ある時トイレから出ると何だかやたらに尻がかゆい。教室に戻るとますますかゆい。もう一度トイレに行って確認したら、尻を数カ所蚊に食われていた。 かゆみ止めの薬
昼飯を食いに入った喫茶店で、隣席の老人が「おぅっふ!!!」と怒鳴り出したからビクッとした。どうやらくしゃみだったらしい。 老人はその後も執拗に「おぅっふ!!!」を繰り返し、そのたびにこちらは驚いた。 老人の向かいには夫人も座って珈琲を飲んでいる。現役を退いて、夫婦でのんびり過ごしているところなのだろう。そういう老後には大いに憧れるけれど、それとこれとは別の話である。他人が平和に食事しているところを、いきなり「おぅっふ!!!」と驚かす法はない。 全体、くしゃみをするのに
ある時、義父母と一緒に『わくわくハウス(仮)』という店で食事をした。 随分古い店で、何だか少し薄暗かった。客席が数席と、その奥に座敷がある。座敷は二席か三席だったように思う。 あんまり愛想があるとはいえないおばさんが一人で切り盛りしていて、一品の量がやたら多かった。 近くに大学があるから、きっと何十年もそこの学生相手にずっとやってきた店だろう。自分の通った大学の近くにもこんな店はあったから、初めて来たのに何だか懐かしい気がした。 以来、妻子不在の折などに時々一人で行
以前、妻子と、妻の従妹と子供らを連れて長島へ遊びに行き、スーパー銭湯に寄って帰ったことがある。 従妹の子らは男女一人ずつで、父親は来ていなかったから男の子は自分が連れて入った。銭湯は初めてだと云うから入り方を教えてやったら、随分気に入ったようだった。 妻の話では、父親は子供のことを何もしない人らしい。恐らくそのせいもあってか、妻の叔父叔母――子供らの祖父母――から随分感謝され、お礼にと畑で穫れた野菜をたくさんいただいた。 ありがとうございますと云って帰ろうとしたら、
小2の時分にはいつも、学校から帰るとすぐにイカサキ君の家へ遊びに行った。そうしてウルトラマンごっこをしたりプロレスごっこをしたり絵を描いたりした。おやつの時間には食卓へ招かれてお菓子と珈琲をいただいた。 小学生に珈琲というと今では何だか奇異に感じるけれど、あの頃は別段珍しくもなかったと思う。 自分が初めて珈琲を飲んだのがいくつの時だったかは覚えてないけれど、イカサキ家で出された時に「うちと一緒だ」と思ったのは覚えているから、きっと小1ぐらいから飲んでいたろう。 ※
幼い頃、今の実家に落ち着くまでは父の勤め先周辺で割と頻繁に引っ越した。 海辺のお好み焼き屋の2階に住んでいたのが多分一番古い記憶である。恐らく2歳か、それよりもう少し前かも知れない。 店の入口脇のドアを開けたら階段があって、そこから出入りしていた。海辺のことだから、この階段にはよく小さな蟹が入り込んでごそごそしていた。 隣の2階には同じ年頃のタケシ君が住んでいて、よく一緒に遊んだ。タケシ君は自分よりも一つか二つ上だったと思う。 ある時、タケシ君の家で遊んでいて
大学2年の時、学生寮で木下さんが「百君、このギターを2万で買わないか?」と云ってきた。フェンダーのストラトキャスターだった。 ちょうどストラトキャスターに興味があったから、2万ならと買っておいた。 自分はギターのことを高校時代に級友の谷田からあれこれ教わった。 谷田はフェルナンデスのギターを使っていた。フェンダーのギターってどうなんだと訊いたら、あれはフレットが小さい上に指板のアールがきつくて弾きにくいと云った。 世界のフェンダーがそんなに弾きにくいなんて本当だろ
これも大学1年生の6月頃だったと思う。 「あんた、テレビ持ってる?」と、行きつけのお好み焼き屋でおばちゃんAが訊いてきた。 ない、と云ったら「ならあげるわ。古いけど」と言う。くれるというならもらわない法はない。 「どうもありがとう」 「来週持って来るわ。でも、自分で持って帰ってな」 大学入学で独り暮らしを始める際、生活用品は親がホームセンターで揃えてくれたが、テレビはその中に入っておらず、要るなら自分で買えと云われていた。 入学当初は学生寮に住んでおり、いつも遅くま