会社倒産から32歳でカリフォルニアに米国留学。アートとビジネスの狭間を埋めるべく起業。双子男児と女児の父。すべては、家族の時間を大事にするために。
アナログレコード事業を中心とした豊かな音楽生活をサポートするサービスを展開する株式会社NOWHERE代表取締役・柴田 広輝 さん。
「早稲田大学卒業」→「上場企業就職・倒産」「結婚・子育て」「西海岸でMBA留学」、そして「東京から福岡へ移住」。数々の“キャリアの山場”を超えながら、柴田さんが大事にしているのは、「自分がやりたいことを素直にやる」ということ。
年を重ねるごとに役割と責任が増していくなかでも、自分らしさを貫いていくために必要なこととは?
今回は柴田さんが歩んできた、起業に至るまでの道のりをお聞きしました。
〈聞き手=ゼロトイチ〉
海外MBA留学を
会社側に直談判
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−柴田さんの経歴はユニークですよね。まずは、会社員時代について教えてもらいたいです。
柴田:大学を卒業後、エネルギー業界で8年半働きました。その会社は日本で唯一石油会社向けに掘削サービスを提供する会社で、海外営業をはじめ、事業開発、経営企画などの仕事をしていました。
主に海外の石油会社向けに、サービスを提供するための契約交渉、入札手続き、関連する他のパートナーと一緒にジョイントベンチャーみたいなことを経験しました。
−順風満帆だったのですか。
柴田:最初のうちはいろんな国にも行けてすごく楽しくて、仕事ばっかりしていました。ただ、若手で会社にすごい貢献しているわりに、報酬が追いついてなくて、これはおかしいぞって思って。
それと同時に、会社の経営状態も悪くなってきて、そこからいろいろと自分のキャリアを考え直して、転職とかを考え始めました。
−そこから転職されたのですか。
柴田:転職とかを考えていたんですけど、会社に費やした最初の何年間の経験とかを無駄にしたくないなっていうのがあって。じゃあこの会社を変えようと思い、経営や組織に関する勉強をしました。
経営学について知れば知るほど会社の現状とのギャップに疑問を感じ、当時の社長に「会社を変えたい」と提案して、そこからより一層経営に興味を持つようになっていきました。元々大学のときに海外留学に行っていたこともあり、これを機に海外で経営を勉強したいと思い立ちました。当時そのような制度はなかったのですが、会社側に「MBAを取得したい」と提案して、社費留学制度をつくって行かせてもらう流れが決まりました。
−すごい行動力ですね。
柴田:準備している最中に子供が産まれたりして、海外留学を1年延ばしたのですが、復職後しばらくして会社が倒産してしまって。
それでも準備してやってきたから、自分のお金でも行きたいと思い、カリフォルニア大学ロサンゼルス校に2年間留学しました。
家族を連れて
海外留学を決意
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−MBA取得を決断されたわけですね。留学先は数ある国の内、なぜアメリカを選んだのですか。
柴田:ヨーロッパは大学時代に交換留学でアムステルダムに1年住み、いろいろと旅して回ったので馴染みもあったのですが、住んだことないアメリカに行きたいなって気持ちがありました。やっぱりスタートアップにも興味があったので、ロサンゼルスに決めました。
あとは学校のランキングとかもあるんですけど、それよりも家族を連れていくので、家族の過ごしやすさが決め手でしたね。
−留学するときはお子さんは生まれていたのですか。
柴田:留学したのが2018年の32歳のときです。その年に生まれて2週間後に単身渡米し、3ヶ月後に家族も合流しました。
−留学時代は何をしていましたか。
柴田:自分の好きなことを探究しようと思い、アントレプレナーシップ(起業)やエンターテイメントの勉強をしていました。ちょうど1年目が終わった頃に、サマーインターンといって、夏休みに希望する業界のインターンをする機会がありました。そこで僕は日系エンタメ企業の米国法人で働きました。
−インターン先では何をしていたんですか。
柴田:当時は会社として、音楽系のスタートアップに投資していこうという話がありました。西海岸が中心なんですけど、音楽やエンタメ領域、もっと広くいうとメディアエンターテイメント領域みたいなところをやっているスタートアップのリサーチなど行っていました。
……というと聞こえはいいんですけど、求人募集されていたものではなく自分から志願したインターンなので、「何でもお手伝い」です。
−インターンを経て何を思いましたか。
柴田:実際にその領域で勝負している起業家などの話も聞けたり、メジャー側の視点も学ぶことができて、とても良い経験になりました。
最初は大きな企業に投資をうけて新規事業、スタートアップへの投資とかそういう方向性のキャリアを考えていたんですけれど、インターンを通じて、本当にやりたいこととは違うかもしれないと思いました。
−どういったところに嫌気みたいなのを感じたんですか。
柴田:企業に勤め、自分の人生をかけて働くといういうこと自体が、性分に合わないと思いました。人も会社も人生の儚さみたいなのを実体験として痛感したからこそ、自分でやりたいことをやる。そこから起業熱みたいなのは高まりましたね。でも、最終的に最後まで普通に就活していました。
−嫌だと感じたのに、なぜ就活をしたんですか。
柴田:周りと同じように借金までして自己投資した分をまずは回収すること。アメリカで働く経験を積みたかったこと。家族がいるので起業は現実的ではないと考えていたこと。そんな気持ちになっていましたね。結局最終面接とかまでいってやっぱり本心で受かる気かもなかったせいか、受からなかったですね。
人生かけて仕事するのに、
やりたくないことやってもしょうがない
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−そのあと、どんな経緯で起業されたんですか。
柴田:MBAでは卒業半年前ぐらいに卒論みたいな感じで、いろんな実践型プロジェクトをやるんです。コンサルティングプロジェクトや社会貢献系のプロジェクトがある中、僕は起業コースを選びました。
その時はアメリカ人のメンバーがリーダーで、アイディアをみんなでどう形にするか疑似体験を行います。「これ自分でもいけるんじゃないか」という手応えがありました。そのタイミングで前々から知っていた大学の先輩から、「こういうアイディアをやるんだけどと一緒にやらない?」って話があり、就活も並行しつつ、起業アイディアを実現する方が楽しくなっちゃって、振り切ってやろうと決めました。
−日本にはいつ戻られたのですか。
柴田:大学院卒業した1年間、インターンの延長みたいな感じで、正社員として雇われてなくても働けるビザがあったんです。それも一応申請していて、せっかく行ったから1年ぐらいアメリカで、ゴリゴリやってみたいと思っていたんですけど、コロナで採用とかも全部ストップしちゃって。留学している間に自分のキャリアを犠牲にしてくれた妻がアメリカでは働けないこともあって、東京に戻ることを決めました。
−起業アイディアはどんな事業だったのですか。
柴田:ダンサーとダンス好きのためのオンラインストリートダンスプラットフォームを構想しました。その事業内容を、いくつかのベンチャーキャピタルにプレゼンを行い、出資してもらう形になりました。
−展開が早いですね。
柴田:いろいろな角度から事業アイデアを練って、担当の方と話し合った結果、事業化が難しいということに至り、ダンス事業は辞めることにしました。投資家的な目線からいくとダンスの方のアイディアは、わかりにくいというか、ポテンシャルは大きいけど、現状ではお金を作るポイントが少なかったので、レコードを軸とした事業を行うようになりました。
−どうしてレコードだったのですか。
柴田:元々レコード屋は、自分の道楽の一部としてリタイヤしてやりたいと、夢のように考えていました。
−音楽を聞くってことはずっと好きで、事業のやり方として自分の好きなことから探していったってということですか。
柴田:そうですね。人生かけてするのに、全然やりたくないことやってもしょうがない。自分のパッションをかけれるものと、将来的にもニーズがあって成長していくであろう=社会に必要とされ続けるであろうマーケットを基準として絞り込みました。
お金を稼ぐことを第一に取り組んでも
幸せにはなんない
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−スタートアップと呼ばれる業界は、売上規模など上昇志向が強いイメージなのですが、環境に左右されずに自分のペースで進めていれるのはなぜなんでしょうか。
柴田:自分のやりたい方向性ではなく、会社勤めと同じように他人のために働くような状況になってしまったら、起業を辞めるだけですね。周りはみんなギラついていて、僕はどっちかっていうと、小さな子どもがいますし、どうやって子育てとのバランスをとりながら、持続可能な形で事業をつくっていくかっていう観点で生きています。
MBAの授業で「Rich vs King (起業家のジレンマ)」っていう話があります。Kingは自分のコントロールできる範囲で自分の信念に従って経営する。Richはお金を稼ぐことが第一で、経営の意思決定は複数のステークホルダーで決める。俗に言うスタートアップとかは、みんなRichの方を目指して一発当ててやるイメージがありますよね。
−傍から聞くとそんなイメージありますね。
柴田:特に教授が前のめりになりがちなMBA生たちに強調していたのは、お金を稼ぐことを第一に取り組んでも、幸せにはなんないよという点です。「それはそうだよな」ってずっと自分の中で腑に落ちていて、最終的には自分と家族含めて幸せになるっていうことに重きをおきながら、仕事には取り組んでいます。
東京に戻り、レコード事業に取り組む柴田さん。
2022年春ころには、家族で地元・福岡に移住を決断。
次回は、柴田さん家族が東京から福岡に移住した話をお届けします。
【柴田さんの手掛けるお店とサービス】
shibakenrecords
「イーストフクオカ」の港町、津屋崎千軒エリアに佇む築約50年の元自転車屋さんを音楽体験工房にリジェネレーション中。
https://www.instagram.com/shibakenrecords/
good record club
good record clubはアナログレコードを通じて、人生を豊かにするような「いい音楽」と向き合う時間と空間を、そして「音楽と遊ぶ」体験を共につくる会員制レコードクラブです
https://goodrecordclub.com/
https://www.instagram.com/goodrecordclub/
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