2022年の日記集:幸福な夢

【4月6日】

夢、といっても眠りながら見るほう。
私が見る夢は、過去のトラウマのリフレインのようなものが多い。
大概は部活だったり、小中学校の頃に経験したこと、あるいは苦手な人が登場する。

「ん...?何かおかしいぞ」 と、現実離れした出来事であることに気づいて起きる、あるいは 「ウワーーーーーー」 と本当に叫びながら、ガバっと起きる。

こういう時は高所から落ちたり、殺される瞬間である。
死ぬのは怖いよなあ、自分はまだ生きていたいんだな...と夢に学ぶ。

...

夢はどうやら、想像していることが形になるとも言われているようだ(諸説あり)。

幸福な夢って、見られるのだろうか。
私は日頃から、嫌なことばかり思い出したり、これから起こるかもしれない最低最悪の出来事ばかりを妄想しているから、嫌な夢を見ることが多いのかもしれない。

日ごろから幸せな想像って全くしない。
急に天井が落ちてきたらどうしよう、大きな地震が起きたらどうしよう、何かトラブルに巻き込まれたらどうしよう。

そんなことばかり思い浮かべて、せっせと準備を入念にしたり、退店時は繰り返し(5回くらい)ガス栓やカギのチェックをしてしまう人間なのだ。心配性を通り越して臆病極まりない。

「鍵、よし」「水道、よし」
一人閉店後の暗い店内でつぶやいている姿は不気味だろうな。

それでも、帰路の途中「本当に閉めたっけ…」と心配になって引き返したことは数十回とある。

...

そんな自分が好きだ、とは全く思わない。
目の前のことに集中したいし、考えてもどうしようもないことに囚われたくない。準備にしても対処にしても、やることやったら忘れろよな。
まあでも、そんな自分なのだから仕方ない。

幸福な夢...こうだったら嬉しいなということ。
意識的に想像してみても、パッと浮かばない。

毎日ぐっすり眠れたらいいな、花粉症があまりひどくならなかったらいいな、疲れた時に休める余裕があればいいな。自分にとってはそれくらい。

いつも神社で願うのは、周りの人たちが無病息災でありますように。
まるで聖人のようだけれど、単に「自分ではどうしようもないこと」を願っている。他人(自分以外の意)のことは、自分ではどうしようもないので祈るしかない。

...

結局、現実の日々みたいな夢が 私にとっての幸福な夢ということになる。
もし そんな夢をみることがあったら、いよいよ夢と現実が混ざりそうな気がして、それはそれで少し怖いかもしれない。

※この記事は、過去にメンバーシップ内の掲示板に投稿していたものを再編集したものです。

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