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自己開示をやめ、変化に無頓着になったら生きやすくなった話

最近職場の後輩に「上司や同僚の異動などの変化があった時に、どう適応したらいいかわからない」という趣旨の相談を受けた。何か意識していることや、良い考え方があったら教えてほしいと言われたので、振り返ってみた。

思い返せば、この1年で上司が3回変わり、同僚が2人育休・産休に入り、新たに3人のスタッフが増えて、確かにてんやわんやだった。しかし、何を意識していたかと聞かれると、正直何も意識していなかった。

昔は誰が上司や同僚になるかは、自分にとってかなり大切な要素だったように思う。どんな人かわからないと怖かったので、積極的に自己開示してくれる人が好きだった。また、私に対して興味を持って色々と質問してくれる人が好きだった。それを踏まえて私のことを好きとか評価してるとか明確に伝えてくれる人が好きだった。

でも、結局それを求めすぎると自分で自分の首を絞めた。2回目の休職を経て復職するタイミングで、自分で決めたルールの一つが「自己開示をしすぎないこと」だった。働くうえで必要なことは開示する。でも、働くうえで必要ないことは開示しない。シンプルなルールだけど、人との距離感を適切に引き、期待値を上げたり下げたりしすぎないためにかなり有効な手立てだったと思う。

まず、自分が自己開示しないことで、相手の自己開示や自分への関心を期待しなくなる。そうすると上司や同僚の好き嫌いがなくなった。(どんな人かよくわからないので、好きも嫌いも思わなくなる…。)誰が抜けて誰が増えようがいつも同じ職場環境を自分の中で確保できる安心感は大きい。

また、例え仕事をしていて相手に嫌な感情になることがあっても「自分が知っている側面はあくまでも一部であって、この人自身の全てではない」と思えると過剰な嫌悪感は抱かずに済む。また、逆も然りで仮に否定されることがあっても「相手が知っている側面はあくまでも一部であって、私自身の全てを否定されているわけではない」と思えると傷つきが少ない。

必要以上に仲良くしたり、変に気を遣ったりしなくて済むようになったので、マイペースに仕事が出来るようになった。逆に今苦手なタイプの人は、聞いてもないのに色んなことを自己開示して何でも知ってもらおうとしてくる人と、色々と根掘り葉掘り質問して私のことを知ろうとしてくる人だ。(両方とも完全に過去の自分なのが悲しいけど…。)

後輩への助言としては「上司や同僚が変わったところで仕事内容が変わらないのであれば、変化を意識しすぎずに自分の仕事にただ集中すればいい」ということになった。こういうセリフを言ってくる先輩社員が昔は嫌いだったが、今は気持ちがとてもよくわかる。仕事に関係のない無駄なところで疲弊するよりも、よっぽど合理的なのだ。「変化に適応しよう」という発想が浮かんで来ないくらい、変化に無頓着なくらいがちょうどいい。


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