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ひとりぼっちに慣れなくちゃ

最近婚活系のドキュメンタリーがバズっていたが、それを見る度に「どうして皆結婚というゴールや形に拘るんだろう」と違和感を感じていた。

でも、きっと子供が欲しいからという理由で婚活を必死にしている人も多いんだろうなということも気付いている。結婚しないと(ほぼ、特に男性は)手に入れられないものだから。

私は絶対に結婚したい!という欲求は昔からなかった。身近に独身バリキャリの叔母がいて、人生を謳歌しており尊敬できる人間だったからかもしれない。子供を持つ希望もなかったし。

そして、他人からのほぼ永続的な愛情を信じていなかったこともあり、自分の事を好きでいてくれる相手は多ければ多いほどいいと思っていた。(学生時代は本当にひどい人間だったと思う。)なので、妹からも「お姉ちゃんは結婚しない方がいいと思う」と昔から言われていた。

でも、今のパートナーに出会って特に何の違和感も疑問も抱かずに普通に結婚した。それは彼を永久的に信じられる人間だと思ったし、私は彼をずっと好きでいられると、何故か自分を信じられたから。だから、ずっと彼と一緒にいたくて結婚した。それがただ今の世の中的に『夫婦』という形だっただけ。

こういう思考だから、結婚をするために活動している、いわゆる「婚活」に対してモヤモヤするんだと思う。(それで幸せになる人がいることを否定したい訳では無く、価値観が違うというだけ。)

こんな偉そうなことを書いておきながら、私は自立した人間かと言われると、全く違う。物凄く寂しがり屋で、誰かとずっと一緒にいたい。小学校高学年の頃からほぼ彼氏は途切れたことがないし、恋愛依存気味の人間だったと思う。結婚が最高だと思うのは(もちろんパートナーが大好きで良好な関係だからという前提ではあるが)生涯2人組でいられるからだと思ってる。

だから、ひとりぼっちで生活している自分を想像するとすごく怖い。お箸も1本だとポキッと折れてしまうように、私は1人になった瞬間にポキッと折れる想像が容易につく。

でも、人生は長い。何が起こるかわからない、と最近よく思う。もちろん私は彼と一緒にずっと死ぬまで一緒にいれたらいいな(死別なら、私が先に死にたい)と思っているが、それが叶うかどうかは今の自分の意思だけでコントロールしきれないものでもある。ただ2人が一緒にいることを盲目的に信じていた日に戻りたい気持ちもあるけど。

なので、題名のセリフにもなるが「ひとりぼっちに慣れなくちゃ」とよく思う。幸い、私には猫がいる。猫は私が逃がさない限りは、私の意思で側にいてもらうことができる。でも、猫に埋めてもらうことが難しい寂しさもきっとあるだろう。

何故か結婚してから単独行動に慣れ、1人でラーメン、美術館、箱根旅行にも行けた。多分今なら1人ディズニーも行ける。仕事が終わってパートナーの帰宅時間が遅い日は、1人(+猫と)でご飯を食べて映画を見て日記を書いて寝るのも、それはそれで悠々自適な感じがして楽しかったりもする。

でも今のそれは、2人の生活がベースにあるからこその「まあ、たまには1人の時間も楽しいよね」という感情に過ぎない。本格的に1人になったら、確かに慣れはするだろうが「そっちのほうが楽しい」になることは、まだ想像はできない。

ひとりぼっちに慣れなくちゃという題名で書きはじめたが、ひとりぼっちに慣れる日が来なかったらいいな、と今は思う。今日はそう思いながら、1人で映画を観よう。


そう思いながら見た「正欲」はずっしりと重く、じわじわと私の心に侵食した。「誰も1人でいないといいね」という新垣結衣のセリフが、部屋に響く。

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