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京都在住/28歳 言葉と身体、それにまつわることが好きです。 日々考えたことや感じたことをつらつらと。

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京都在住/28歳 言葉と身体、それにまつわることが好きです。 日々考えたことや感じたことをつらつらと。

マガジン

  • 食日記

    その時にその場所でしか味わえない味、景色、感情、、忘れたくないと思ったものを書き残しています。 投稿した日と投稿内容の季節がズレていることがありますが、どうぞ、あしからず。

最近の記事

気づいたら、問いの中で泳いでいる

その瞬間は突然やってくる。 沸々、沸々と湧き上がり、ん?ん?と目を凝らしているうちに ぽろっと。 私の頭の中に、問いが産み落とされる。 それは、 「生きるって何?」「幸せとは?」 みたいな大きなものもあれば、 「面白いってなに?」 「何をもってオシャレという?」 「もし私たちに名前がなかったら?」 「どこまでが私?」 みたいな、これまで気にも留めていなかったような些細なことも。 なんで?どうして? そうなったらどうなるの?… 考え始めると止まらない。 広がっ

    • 月夜に思うこと。

      昨日は中秋の名月でしたね。 お月見されましたか? 京都でも、雲から出てきたり引っ込んだりしていましたが、美しく光る月を見ることができました。 今日は満月。 また綺麗な月が観れるといいな♪ 今日は、中秋の名月を眺めながら思ったことを少し。 ーーー やさしく地球を照らす月は、自ら光を発してはいなくて、太陽の光を反射して光っているのだと初めて知った時、 な〜んだ、月って光ってないのかぁ。 と、ちょっとがっかりしたのを覚えています。笑 それからというもの、月を眺めている

      • 感じることに素直に

        夏の空が好き。 雲の塊がぷかぷか浮かんでいるのがとてもメルヘン。 白い巨人かなんかが地球を覗き込むようにもくもく迫り上がってくるのも楽しい。 どうしても、その向こうにどんな世界が広がってるんだろう?って想像したくなっちゃいます。 お盆の時期も相まって、見えない世界がすぐそばにあるように感じます。 空を見上げて思うのは、見えない世界から見守られる私の、いかにちっぽけなことか。 しかし、ちっぽけな私が生きるこのちっぽけな世界が、私にとっていかに大きなものか。 遠くから見た

        • エクレアの中の空洞 のようなものが好き。

          エクレアの中の空洞 のようなものが好きだ。 エクレアを一口かじり、中を覗いた。 そこには空洞があった。 ずっとここにおりましたよ。と、すまし顔で底に佇むカスタード。 その頭上にある空間。 このエクレアの空洞は、生産されてからずっと、 パッケージされてコンビニに並んで、 彼に自転車で運ばれて(彼がおやつに買ってきてくれたのだ。)、 うちの冷蔵庫に入っている間ずっと、そこにあった。 誰にも知られずにそこにあった。 私がかじって中を覗かなければ誰にも見つからなかった。

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        • 食日記
          5本

        記事

          名前は記憶を蓄積する

          あなたの名前は何ですか? その名前で生きてるって、どんな感じですか? 私は時々人に尋ねたくなる。 私は、当たり前に「実和」として生きてきたので、 他の名前で生きているあなたの世界が気になります。 羨ましいとか、名前を変えたいとか そういうわけではなく、ただ気になる。それだけです。 ーーー 初めて相手の名前を聞いた時、 もちろん私はその名前とその人を一致させるのが初めてなわけで、 新鮮な感じがするのだけれど、 同時に、この人はこの名前で今日まで生きてきて、 この名前は

          名前は記憶を蓄積する

          無意識に意識を向けてみる

          変な質問をします。 今日、 靴、右足から履きました? 左足から履きました? さっき階段を登る時、 右足から登りました? 左足から登りました? 今朝一番に口に入れたもの、 右の歯で噛みました? 左の歯で噛みました? 自分でやったことですよ、わかりますよね? …わからないですよね。私もわかりません。笑 先日、歯医者に行ってきました。 左上の奥歯が時々痛むのが気になったので。 歯医者さんの予約は、不調を感じ始めたら早めに取った方がいい。 行きたいと思った日にすぐ行ける

          無意識に意識を向けてみる

          あなたにしかできないこと。私にしかできないこと。

          ヨガマットに寝っ転がって、 足を天井に伸ばして、 足首をくるくる回していたら、 ふと、不思議な感覚になった。 このくるくる回る「足」は、 いったい私のどこが動かしているのか? 脳から指令が行き、 筋肉やら神経やらが刺激されて この動きを生み出しているのは確かなのだろうけど、 私には、一本一本の指の細かな動きとか、 一周目と二周目のわずかな違いとか、 そんなところまで司令している感覚はない。 …勝手に動いているってこと? …すご。怖っ。 自分の部屋にいるのに、 一瞬に

          あなたにしかできないこと。私にしかできないこと。

          「向き合わない」という選択

          なかなか乗り越えられない困難がある時、 いっそ「向き合わない」ことで乗り越えられたりします。 生きていれば、壁にぶつかることは度々とありますよね。 どうしろってんだよ! もうわからないよぅ〜(泣) 頭を抱える日々が続くことがありますよね。 そうしていつまでも心が晴れないのは、 ちゃんと、問題と「向き合っている」 から。 「どうしたら解決できるんだろう?」 「自分は何を選択すべきなんだろう?」 「この先に進んだらどんな未来が待っているんだろう?」 とてもとてもがんば

          「向き合わない」という選択

          自分だけの “ 小さな儀式 ” を持つこと。

          もうとっくに6月だというのに、 日めくりカレンダーはまだ5月のままだった。 慌てて今日の日付に合わせました。 (めくっていることには変わりないのに、 数枚まとめてめくるとなんか勿体無い感じがする…) お仕事やらお引っ越しやらで パタパタとすぎてしまった5月末。 いつもと違うことをすると、 いつもやっていることができなくなったり、 慣れないことに、気づかないうちに心や身体が 疲れちゃったりして、 気づけば自分のペースを見失っている… なんてことがある。 そういう時って必

          自分だけの “ 小さな儀式 ” を持つこと。

          なんとなくもやもやしてる場合じゃない。

          もやもやが始まってしまったとき、しばらくそのもやもやと 隣り合わせで過ごさなくちゃいけない日々が続く。 なんかスッキリしなくて、毎日がどんよりして、 このままこんな日々が続くのか?なんて思うと、 何もかも投げ出したくなる。 そもそも、「もやもや」は解決しようとするからもやもやするのであって、 解決しなくていいとするならば、もやもやしなくてもいいのかもしれない。 ならば、もやもやしなくていいや! って手放せるなら、手放そう。とっとと。 その方が健康のためよ。 だけど手

          なんとなくもやもやしてる場合じゃない。

          成功を気にする前に、自分の“好き”に素直になること。

          中学生の終わりから大学生の途中までクラシックバレエを習っていた。 やっぱりダンスは好きなようで、しばらく踊っていないとうずうずしてくる。 ここ最近ダンスのワークショップに参加したりしている。 先日のワークショップでいくつかワークをする中で、 講師の先生と少しおしゃべりする時間があった。 咄嗟に私は、「先生はいつからダンスをやられてるんですか?」 っていう無難な質問をした。 先生は「大人になってから始めたのよ。まぁ、大人になってから長いけどねっ。」 っと、クスッと笑いなが

          成功を気にする前に、自分の“好き”に素直になること。

          淡々と、変化していくこと

          満開の桜を見ると、なんだかそわそわします。 わっと咲いて、あっという間に散ってしまうから、 ずっと留めておけないその美しさが、目の前にどーんと現れた時、 この貴重な満開の桜をどうしたらいいのだ!? と、心が急かされるのです。 例えるなら、 とっても美しくて美味しそうなお料理が目の前にたーっくさん現れて、 好きなだけ食べていいよ!5分以内でね! って言われているような感じ…?(伝わる?笑) どれも味わって食べたい、、でも急がないと、、どれから食べよう?!みたいな だから、

          淡々と、変化していくこと

          いつも “いま”“ここ” にいる

          私は、そこには行けない。 そこに行けばそこが“ここ”になるでしょう? だからどこに行っても、私は“ここ”にいる。 私は、未来にはいけない。 未来に行けば、そこが“今”になるでしょう? だからいつになっても、私は“今”にいる。 いつも “いま”  “ここ” にいる。 ーー 私たちは1日に6万回思考しているらしいですね。 そのほとんどが、過去のことか、未来のことらしい。 …確かにそんな感じする。笑 過去や未来のことを考えながら過ごす「今」が、 新たに過

          いつも “いま”“ここ” にいる

          「不自由」だからこそ生まれるもの

          真っ白なキャンバスを渡されて、「自由に何か描いて」と言われたら、 何を書きますか? りんごか?お花か?何かそんな無難なものを、 無難な感じで描いてしまいそうな気がしません? ではこれならどうでしょう。 「寝室に飾るように、一筆書きで、犬の絵を描いて。」 これなら色々とアイデアは出そうじゃないですか? 寝室に飾るなら、色は落ち着いたのがいいかな… 犬の形はどこをどう通って一筆で描こうかな… かわいい感じにしようかな、かっこいい感じにしようかな… とかとか、色々と考える

          「不自由」だからこそ生まれるもの

          溢れることを、許してみる

          発信したい言葉がたくさんあるけど、 伝えたい想いがたくさんあるけど、 まだ自分の中で納得するまで整えられてない。 整ってなくたっていいのだろうけど、 ちゃんと包んで、リボンをかけて、届けたい。 と思ってしまうものだから、時間がかかる。 丁寧に包まれた贈りものは、もちろん嬉しい。 でも、いつもそうとは限らない。 美しく整えなくていいから、 それよりパッと早く渡した方が、いいときだってある。 然るべき時に、然るべきものが届けられたら一番いいのだろうけど、 そんなことを

          溢れることを、許してみる

          自信をはぐくむために必要だったもの

          自信とは、「自らを信じる力」というよね.⁡ 前はよく、 「大丈夫!自信持って!」って言われても、⁡ わかってるけど、それができたら困ってないわいっ。 って思ってた笑 私もまだまだ自信を育んでいる途中だけど、 「自信」について、私なりに分かったことがある。 自信、すなわち “自らを信じる”こと その “信じる”の部分には、 2種類の「勇気」が必要だということ。 まず、 「自分ならできる」「自分なら大丈夫」って思える勇気。 (信じることにも勇気がいるよね。) 次に、

          自信をはぐくむために必要だったもの