溢れることを、許してみる
発信したい言葉がたくさんあるけど、
伝えたい想いがたくさんあるけど、
まだ自分の中で納得するまで整えられてない。
整ってなくたっていいのだろうけど、
ちゃんと包んで、リボンをかけて、届けたい。
と思ってしまうものだから、時間がかかる。
丁寧に包まれた贈りものは、もちろん嬉しい。
でも、いつもそうとは限らない。
美しく整えなくていいから、
それよりパッと早く渡した方が、いいときだってある。
然るべき時に、然るべきものが届けられたら一番いいのだろうけど、
そんなことを考えれば考えるほど、タイミングを逃してしまう。
丁寧に、ちゃーんと、恥ずかしくないように、、、
繕えば繕うほど、無難でなんのへんてつもない贈りものになってしまう。
小心者の私の中には、
送り届けられなかった、包みかけの贈りものがたくさんあるみたいだ。
だけどそれもいずれ薄らいでいく。
届けられなかったものは、相手にとってはなかったも同然。
それってちょっと悲しくない?
整ってなくても、いいのかも。
手放してみたら、いいのかも。
綺麗にまとまりきらなくても、それはそれで人間らしいじゃない?
へたくそでも、そこに込めた想いが、
言葉以上のものを伝えてくれることだって、たくさんある。
もし、うまく伝わらなくても、またいろんな方法で伝えてみたらいいのだから。
伝わる方法も人それぞれだしね。
何度もやってみればいいんだ。
うまく整理できないなら、
「うまく整理できないんだけどね…」って、それすらも伝えたらいい。
相手の反応が不安なら、
「何て思われるか、ちょっとどきどきしている自分がいるんだけどね…」って、
その気持ちも伝えたらいい。
自分を縛っているものを、ちょこっとゆるめて、
内側にあるもの、溢れることを、許してみよう。
miwa
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