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#10 谷川ナナシその後の「善悪」

結論から言いたい。
谷川ナナシがこれまでの経験から学習したのは、
「清く善なる出来事も、人生でたしかに起こる。
   同じく、悪しきと思われる出来事も、
   たしかに必ず起こる。」

だから、自分が強く反応することに遭遇しても、いつでもセルフコントロールするスキルを、意識的に持つ方が良い。

谷川はひとつ答えを出していて、
「相手には悪意があって起こったのか、
   悪意がなかったのか」を測りとする。

悪意がなかったと分かれば、自分自身を見つめ、
互いに許し合う為の行為を導き出し、実行する。
結果、自分の思う方向にならなくとも、
受け入れる事で自分自身を
昇華させたり前進できる。

悪意があったと分かれば、
相手に関心も執着もいらない。
負のエネルギーを燃やす事なく、
自分の楽しみの方に、全身全霊を向ける。

想像してほしい。
自分が「しあわせ」と感じているとき、
その世界に「嫌な人」「実際に嫌な事された奴」
はいるだろうか。
わざわざ嫌な事を思い出して、
「あいつに不快な事された分、いま快感だ!」
とか思うだろうか。
谷川ナナシの場合は、
そんな事はあり得なかった。
思い出しても、どこか南の島で
パチンと潰される蚊のような存在に思えた。

そんな体験が出来たのだから、
どれほど嫌な奴と出会おうとも、
また恵みを得ると思える、それ自体が恵みだ。

さて、少し前に戻って、
「悪意がない人からの、悪しき出来事って何?」
という疑問を、健全な人々は持つだろう。
たとえば、無遠慮だったり無神経だったり、
相手の感情まで考えず、自分の思考を投げる
ような人がいる。
その人に余裕がなかったり、
対人スキルが低い場合もそうなる。

「親を憎むなんて、間違っているよ。」
という言葉が分かりやすいかもしれない。
とにかく、受け取った側が傷つくのも
無理はなく、それでも悪意から生じた言葉
ではない、というもの。
物理的に距離をとり、相手に悪意の無いことが
確認できたら、あとはどうにでも、
自分の取りたい行動を選ぶ。

自分の善と悪を見つめて、耳を澄ませば、
代わりに誰かを傷つける事なんて、
わざわざしないはずだ。
むしろ、自分がどう感じていたか、
その人に聞いてほしくなるかもしれない。
それはとても良い機会になり得る。

さて、谷川ナナシに限らずとも、
生きていれば、善も悪も近づいてくるし、
我々から善と悪に近づいてもゆく。
どちらの場合にも、平安が在りますように。
むしろ、
「平安がいつも側にある事を、
   忘れませんように。」

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