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【タイと日本を結ぶ人身取引の闇② [希望と絶望]】

こんにちは。

前回の投稿はこちらからお願い致します。

退屈なキャンパスライフに悶々とした思いを抱き、退学の選択肢もちらついていた大学2年時、懇意にしていた先輩からの思いもよらぬ誘いにより、タイに行くことになりました。

「最初で最後の海外。手に入れたパスポートもこの20日間が終われば役目を終えるだろう」

出発前の段階では本気でこのように思っていました。しかし、この20日間がその後の人生を変えることになるとは、この時点では知る由もありませんでした。


前回の続きとして人身取引の実態と、実際に被害を受けた女性の証言を綴っていきます。

(センターで飼っている犬。おとなしく人懐っこい)


【パヤオセンターの役割】

子ども達が学校に行っている間、私達は人身取引についての講座をパヤオセンターのスタッフから受けることになった。

まず、このパヤオセンターとはどういった役割を担っているのか。

タイ国内では長らく貧富の格差が生じており、北部・東北部はとりわけ貧困の著しい地域として知られている。その様子は、首都バンコクの煌びやかさからはまるで想像もつかないほどである。
タイの目覚ましい経済発展から取り残された同地域では、農業をはじめとした第一次産業で従事する人が多く、更にはミャンマーやラオスとの国境付近にある山岳地帯では国籍を有していない人も少なくないため、人身取引業者やマフィアにとって格好の標的となっていた。
人身取引の対象は女性だけではなく、子どもにも及んでいる。ある人は歓楽街に送られて性産業従事者として働かされ、またある人は漁船や工場といった現場で働きづめの日々を余儀なくされる。

こうした問題から子ども達を守るため、1993年にパヤオセンター(緊急保護シェルター)が設立された。
このセンターでは、貧困、教育、借金、国籍などの問題から人身取引および商業的性的搾取の被害に遭う可能性が高いとされる子ども達が共同生活をしている。そして、共同生活を通じたリーダー育成、人身取引や子どもの権利などの知識を深めるための教育も行われている。


●保護の手段

学校やNGO団体、公共機関などから保護が必要な子どもの知らせを受けることでスタッフが直接赴き、保護する方法。
現地調査や家族調査などを通じて地域の人から情報を得て、それをもとにスタッフが子どもを保護する方法。

ただし、子どもの方向性については施設の一存で決めるのではなく、スタッフが対象の家族と直接会って面談を重ね、双方の合意があればそこで保護が決まる。


●保護が検討される基準

・教育を受けられているか
・貧困・経済状況
・虐待の有無
・過去に性産業に関与したことのある人が周りにいるか
・両親や親族がHIV・AIDSに罹っているか

これらの状況を総合的に鑑みて、判断を受けることになる。


●入所の背景

以下は、実際に子どもが入所に至ったケースである。

●女児A 父、母、4人の子どもの6人家族。10年前にラオスから移住してきたが、国籍は持っていない。母親が病気で働けないことから父親の収入が家計を支えているが、父親はその責任感から心身共に追い込まれた状態であった。当時Aは学校に行けておらず、様々な経験をさせたいという両親の意向から入所が決まった。

●女児B Bは生まれて間もなく、両親の育児放棄により病院に捨てられる。その後、自分の子を亡くしたという別の女性がBを引き取るも、その女性はHIVによって亡くなる。女性の姉がBを引き取ったが、経済的に厳しい状況であったことから人身取引の対象となる危険性を考慮して入所が決まった。

●男児C Cは幼い頃に両親をHIVで亡くし、祖母に育てられていた。祖母は当時70歳と高齢で働けないために生活は厳しいものだった。政府からの支援も受けられず、人身取引の対象となる危険性を考慮して入所が決まった。



【世界中で横行する人身取引の実態】

世界では4,030万もの人が人身取引の被害に遭っていると言われている。
そもそも人身取引とは、どのような問題なのか。

人身取引は、危険な児童労働を含む強制労働、強制結婚、性的搾取、臓器摘出など様々な方法の搾取による非人道的行為で、被害者の権利と尊厳を奪い、肉体的・精神的に深刻なダメージを与える。国際人権諸規約に反する人権侵害であり、国際社会から重要課題として認識されている。

(World Vision ウェブサイトより引用 https://www.worldvision.jp)

アジア地域、なかでも東南アジアは、人身取引が盛んに横行されている地域の1つだ。

先にも述べたように、タイ北部には目立った産業がなく、農業を生業としている人が多いことから国内でも貧困が著しい地域である。稼ぎ頭である一家の主が加齢や病気などにより従事できなくなると、学齢期の子どもが仕事に駆り出されることになる。あるいは、ブローカー(仲介者)を介して女性や子どもが売買され、風俗店や強制労働の現場で従事させられる。いずれも子どもの意思とは関係なく。
人々は生活のため、お金のために人身取引を行っているのである。


【国を越えて売買される女性達】

また、この人身取引は国を越えて横行されており、日本も決して無関係ではない。

経済的、社会的に恵まれない地域出身の人は『日本に行って働けば多くのお金を稼ぐことができ、タイの田舎にいるよりも裕福になれる』と信じている。その心の隙にブローカーがつけ込んで甘い誘いをかける。

そして一縷の望みをかけて日本に渡った女性達はやがて、現実を突き付けられる。パスポートや携帯電話、持参してきた現金を没収されるうえ、渡航にあたっての仲介料や航空券代という名目で莫大な借金を背負わされ、心身共に過酷な状態であっても客を取らねばならない状況へと陥る。

更には、身を削ってお金を稼いでもそのほとんどはピンハネされ、店側にとって気に食わないことがあれば見せしめとして他の女性の前で暴力や強姦などを受ける。『ここからは逃げられない』『逃げたら殺される』という恐怖心を女性達に植え付けておくことで、店側は性奴隷として意のままに操ることができるためだ。

人身取引という問題において、日本は中継ぎとしての役割、受け入れ国としての役割を果たしているといえる。

(貧困地域に住む女性が売られるまでの動き。この問題は国境という枠を超え、膨大なネットワークのもとで横行している)



【アジア屈指の売春地帯】

タイ国内には複数の売春地帯が存在する。その地は世界中から観光客を呼び込み、男達を虜にする。

そのなかにはタニヤ通りという、日本人向けの店が軒連なっている場所がバンコクにある。
日中は歓楽街であることを疑うほどに閑散としているが、日が傾いてくるとそこは夜の街へと変貌を遂げていく。煌びやかなネオンが点され、日本語表記の看板が乱立し、露出の多い衣装を身に纏った女性達が片言の日本語で男達を誘う。行き交う人のほとんどが、流暢に日本語を扱う男達だ。

タイ人から見た日本人というのは、お金を持っていて裕福であるという認識から顧客として最適であると思われている。
理由の1つは、日本よりも遥かに安く女性を買うことができるためである。
日本にある一般的な風俗店で女性を買うには20,000~30,000円が相場なのに対し、タイでは店の形態にもよるが3,000~6,000円で収まる。
そしてもう一つの理由は、タイには未成年売春婦が多く存在することだ。
これは有名な話で、1990年半ば頃までは日本の旅行会社によって「未成年買春ツアー」が盛んに組まれるほどだった。今でもインターネットで検索すると怪しげなツアー情報が挙がってくる。

タイでも児童買春は禁止されており、このような特殊な店は非合法ではあるものの横行されているのが実態だ。元締めであるマフィアは警察と繋がっているために賄賂を支払うことで見逃されている。
人身取引は、政府・軍・警察・マフィア・マスコミの相互の思惑や利権が絡む、極めて複雑な問題である。ゆえに、人身取引がまかり通っている多くの国では、正確な数字が算出できず、実態が把握しにくいというのが現実だ。



【日本で強制売春の被害を受けた女性の談話】

人身取引の悲惨な現実を突き付けられて呆然としていると、センターに3人の女性が来訪してきた。スタッフは彼女達を出迎えると、同席するように促した。スタッフが口を開く。

「こちらはタイから日本に送られ、強制売春の被害を長年受け続けてきた女性達です。彼女達からその時の状況を話してもらいます」

女性達はそれぞれの体験を沈鬱な表情で語り始めた。以下、一人の証言を抜粋する。

私は元々、タイの食堂で働いていました。ある時、そこの同僚から日本で働くことを紹介されたのです。
日本には、中国系のブローカー2人に連れられて行きました。日本に到着するとその2人はいなくなって、今度は1人の日本人と合流しました。車に乗って、辿り着いた先は性風俗店。知らないうちに多額の借金を背負わされていて、働かざるを得ない状況へと陥りました。客を取らなければ暴力を振るわされたり、飲み物をかけられたりされました。日本人は細い人が好みだからと太らないように食べ物も十分に与えられず、太るとまた暴力を振るわされました。誰かに連絡をすることも、気持ちを打ち明けることもできなくて我慢するしかありませんでした。
ある時、一人の客に相談すると私を外に連れ出してくれて、その人は大使館に同行してくれました。その後、タイに帰ることができましたが、20年も日本にいたことからタイ語を話すことができなくなっており、故郷の村では私が日本でそのような仕事をしていたことが噂になっていて、ずっと孤独のなかで生きてきました。
今は農業を営んでいて、生活は決して楽ではありませんが満足しています。

大粒の涙を流しながら、日本での凄惨な記憶を語ってくれた。それを隣で聞いていた女性2人も泣いていた。

「どなたか、質問はありますか」

スタッフから質問を促される。
聞きたいことはある。しかし手が挙がらない。口が開かない。何か言葉を発しようものならその瞬間に何かが溢れてしまいそうだった。
一人のボランティアがその沈黙を破った。

「日本人である自分達を前にして、何を思いますか」

この答えを聞くのは怖い。できることなら目を背けて耳を塞ぎたいし、この場から逃げたい。だが、受け止めなければならない。
一人の日本人として。

あなた達のことを悪い人だとは思っていません。
でも、今まで関わってきた日本人にはひどい目に遭わされてきたから、怖い気持ちはあります

気付いていた。

彼女は話している間も私達には目を向けず、伏し目がちであったことから『どこかで日本人のことを警戒しているのでは』と思っていた。たとえ私達が彼女らに悪さをしていなかったとしても、彼女達が日本人に対して負のイメージを持つのも当然だろう。
結局、私は何も言うことができなかった。人間のもつ残酷な一面にやるせなさを覚え、何よりも無知であった自分に対して怒りを覚えた。


(少数民族の村に住む少女達。こうした幼い子どもであっても売買される危険性を孕んでいる)


【希望と絶望】

この日、初めて日本でも人身取引が行われている事実を知った。無知とはどれほど恐ろしく、罪なものか。このような現実を知らずに生きてきたことに対して絶望的な気持ちに苛まれた。

もちろん、歓楽街で働くすべての外国人が騙されて連れてこられ、労働を強いられているとは限らない。お金のため、自らその仕事を選ぶ人もいる。
しかし、行き先が売春地帯だとは知らずに「いい仕事がある」「日本に行けば大金が稼げる」と甘言で釣られていたり、家族に売られたりした人もいる。たとえ日本に渡ってきてからその事実に気付いても既に手遅れだ。そこから逃げ出すことはできず、搾取され続けることになる。

私達の目の届かない場所では、声を挙げることも許されない絶望的な境遇に置かれ、奴隷のように扱われている外国人が存在している。



次回に続く


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