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【タイと日本を結ぶ人身取引の闇① [初海外はタイ地方部]】

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前回の投稿はこちらからお願い致します。

今回のテーマは、「人身取引」についてです。
アジア地域、なかでも南・東南アジアは世界でも特に人身取引が横行している地域の1つです。

プロフィールでも触れているように、私は大学在学中にタイ北部の街パヤオを訪れ、人身取引の被害から子ども達を守るためのセンターで活動してきました。
具体的な活動内容は後ほど綴っていきますが、センターで勤めている現地スタッフから、東南アジアで起きている人身取引の実態について教えてもらいました。そこでの経験や、感じたことなどを当マガジンではまとめていきます。

この問題に加担している国の一員として、何ができるでしょうか。

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【転機は唐突に】

私は仙台市内にある福祉系の大学に通う学生。家族社会学と幼児教育を専攻している。いや、専攻しているというのはおこがましい。将来は保育士にも幼稚園教諭にもなるつもりはない。だからといって「将来は絶対○○になりたい」という夢を持っているわけでもない。

大学受験ではいわゆる「入りたい大学ではなく入れる大学に入った」に過ぎず、入学後も「就職に際して需要があるから」といった程度の理由で保育士課程を選択した。資格を取得するためだけに重い足取りで大学へと向かい、あくびを噛み殺しながら気怠げに授業を眺めている。

自分の周囲では飲み会・サークル・バイトに明け暮れており、それはまるでどれだけ生活を充実させられているのかを互いに競い合っているようにも映っていたが、自分にとっての大学生活は退屈そのもので、当初漠然と思い描いていたようなキャンパスライフとはかけ離れていた。そもそも、期待を抱いて入学したわけでもない。
「中退しよう」と何度も思った。しかし、学費を捻出してくれた両親に申し訳が立たず、面目を潰すのにも気が引けた。

そのような退屈な日常に悶々とした思いを抱いていた頃、こんな自分にも懇意にしてくれていた一人の保育士過程の先輩からある誘いを受けた。

「タイにボランティアに行ってみない?」

唐突な言葉に耳を疑った。

とりあえず話を聞いてみると、その先輩は昨年度にボランティアとしてタイを訪れたという。私にとってのタイは、ストリートファイターに登場するサガットの出身国という程度の知識しかない。その国でおよそ20日間のボランティア、海外経験など皆無の自分にとっては天文学的数字だ。
世界で大きな問題となっている「人身取引」のケーススタディや、山岳地帯でのフィールドワークを行うなど、現地での非日常的なエピソードの数々を語ってくれた。

その後も話を聞き続け、心から「すごい」とは思っていても、自分には関係がない遠い世界で起きている出来事のように感じていた。そもそも自分が海外へ行くなど、これまで考えたこともなかった。
しかし、ボランティアの内容云々というよりも情熱的に話す彼女の勢いに引き込まれ、最終的には「人生で一度くらい海外に行ってみるのもいいか」程度のモチベーションではあったが、半分、いやほとんど勢いに負けたような形で参加を決めた。

こうして、この年に集まったメンバーは7人。皆が仙台在住の大学生、社会人である。
説明会や勉強会の機会が仙台市内で複数回設けられ、タイに関する基本情報の共有や出発に際してのオリエンテーションなどを重ねていった。

実際のところ、この時点でも人身取引という問題についてはよく理解できておらず、それ以上に初海外という高揚感と少々の不安感の方が勝っていた。

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【海外初上陸】

初めて乗る飛行機に胸を躍らせながら、約6時間のフライトを経てタイに上陸した。海外というのは、もっと遠いものだと思っていた。
初海外という高揚感。日本語が伝わらない世界への不安。呼吸が嫌になるほどの蒸し暑さ。日本とは全く違う環境下で、これから約3週間過ごさなければならない。

アジア有数のハブ空港であるスワンナプーム空港に到着した後は、休む間もなく国内線へと乗り換え、タイ北部の街チェンライ県へと向かう。
チェンライに到着して空港から出ると、これからお世話になるセンターのスタッフが車で迎えに来ていた。聞くと、ここから更に3時間ほどかけてパヤオ県に向かうということだった。とにかく移動の一日である。

後に詳しく述べるが、これから向かう場所は「パヤオセンター」といい、そこでは人身取引の被害に遭う恐れのある子ども達を保護している。子ども達の年齢層は8~18歳で、センターからそれぞれの学校へと通っている。
車中にてセンターの概要や、お互いの自己紹介をしているうちにパヤオ県へと入った。そこは、のどかで緑に溢れた場所だった。道路の両端には田んぼが広がり、道路は先が見えないほど一直線に伸びていた。日本とはまるで別世界である。

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(このような景色が延々続く)

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(パヤオにある数少ない観光地のうちの1つ、パヤオ湖)


【パヤオセンター】

センターに着いた頃には日が既に傾いていた。敷地内にある宿舎へと促されて一休みしていると、子ども達からの歓迎会が催されるということだったため、私達は集会場へと向かった。

集会場では既に子ども達とスタッフが待機していた。前方へ座るよう促され、私達は子ども達とお互い向かい合うような形で座った。ざっと見回したところ、子どもは男子5人、女子20人ほど、スタッフと見られる大人は8人ほどだった。子ども達は笑みを浮かべて、我々7人の日本人を見つめている。
初めにセンター長のノイさんから挨拶をいただいた。穏和で温かい雰囲気の女性だった。

続いて、子ども達が歓迎の意味も込めて民族舞踊を披露してくれるという。事前のオリエンテーションでも聞いていたように、民族によって衣装だけではなく曲調や舞いの型が異なり、それぞれに特徴があった。エキゾチックな音楽と可憐な舞いは時間が経つことを忘れさせた。

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(タイには複数の民族が住んでおり、このセンターにいる子どものほとんどは少数民族である。それぞれの民族によって衣装、曲調、型は大きく異なる)


その後、夕食の時間ということで子ども達とタイ北部の伝統料理を囲み、覚えたてのタイ語で挨拶を交わしたり、高学年の子とは英語を介してコミュニケーションをとった。夕食後にはセンター側の企画でアイスブレイクが催され、お互いの国籍も年齢も超えて交流を図った。

ここにいる子ども達は底抜けに明るく活発的だ。ただ、驚かされたのは子ども達の気遣いの姿勢だった。食事の席では率先して配膳をし「ドウゾ、ドウゾ」「イッパイタベテ」と片言の日本語で促す。また、食べ終わって片付けようとすると「私達がやるから座ってて」とジェスチャーを交えて伝えてくる。いたたまれなくなってこちらが洗い物などを手伝おうとすると半ば強引にでも座らせようとする。

子ども達の性格や人間関係、入所の背景などはまだ知らないが、ここで生活しているのはどこにでもいる純粋で人懐っこい子ども達だ。単純に、今こうして目の前にいる子ども達を笑顔にしたい。そう思った。

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(子ども達はジャスミンを編んだ輪っかとミサンガをプレゼントしてくれた。タイ語で何か呟きながらミサンガを結んでおり、最後に合掌をしていた)

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(音楽に合わせて、近くにいる人にタイ語で挨拶をするというアクティビティ。タイ人の大学生も数名来ており、これからボランティアとして帯同してくれることになる)


夜が更けた頃に解散となり、それぞれの宿舎へと戻って体を休めることになった。子ども達は覚え立ての日本語「オヤスミ」を連呼しながら自分達の宿舎へと戻っていった。

明日からはパヤオセンターの概要と、本題である人身取引の実態についてスタッフから説明を受けることになっている。


次回に続く


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