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ルポ【パレスチナ難民キャンプ⑬ [ナクバの日]】

皆様こんにちは。

前回の投稿はこちらからお願い致します。

ラマダーンも残すところ4日となりました。終盤ともなるとやはり体もこたえるようで、同僚や知り合いも「疲れた」「毎日眠いよ」と漏らしています。職場でもよく職員が居眠りしている姿を目にします。
そして6月4~6日にはラマダーン明けの大祭(イード)があり、人々は夜通しでお祭り騒ぎをするようです。

【2019年5月15日】

14:30。ラマダーン期間中であることから普段よりも1時間ほど早く配属先での活動が終了した。いつもであれば家に直行するところだが、この日はムハンマドさんとバカアへと向かう。いつも懇意にしてもらっている学校でラマダーンにちなんだイベントが開かれるらしい。

この日の気温は36℃。気温以上に過酷なのは、刺すような強烈な日射しだ。
道路は大渋滞しており、バス内は無論クーラーなど効いていない。ラマダーン期間中のため朝から何も口にしていない私は、暑さ、空腹、喉の乾きを寝ることで無理矢理抑え込むことにした。
結局、いつもであれば30分もあれば着くところを1時間以上も要して到着した。まずは一息つくためにムハンマドさん宅へ向かう。
その道中、この日も通りにいた子どもから「中国人!チンチョン!」などと野次られる。いつものことであるため、私は一瞥もせず通り過ぎようとするとムハンマドさんが子どもに対して一喝した。

「この男は私の友人で日本人だ!次何か言ったら許さないぞ!」

怖じけずいた子どもはそれ以上何も言ってくることはなかった。
ここは、よそ者である日本人が一人では決して入れるような場所ではない。そのような場所を案内してくれて、いざとなれば守ってくれる彼の寛大な姿勢は本当に心強く、感謝の念で頭が上がらないほどだ。

(キャンプ内部の通り。ここは比較的人通りが少なく、ゴミも少ない)

16:00。家に到着すると、彼の親戚達が出迎えてくれた。腰を下ろし、彼らと会話に興じていると、ムハンマドさんからマフムードさん宅へ向かう旨を伝えられ、落ち着く間もなく家を後にすることとなった。

時刻は17:00近くだというのに暑さは一向に収まってはいない。10分ほど歩くと、マフムードさんは車の運転席に座って私たちを待っていた。早速、車を学校に向けて走らせる。

学校にはまだ子どもの姿はなく、職員が数名いるだけだった。どうやら、まずは職員達で会場設営をするらしい。
無数のテーブルとイスをセッティングし、ライトや音響の調整を行う。太陽が照りつけるなか、この単純作業はなかなかに体力を奪われる。
ひとしきり準備が終わり、椅子に腰を下ろしていると、18:30頃に子ども達がバスで本日二度目の登校をしてきた。子どもと一緒に、保護者も多数来場していた。

19:00にイベントが始まると、ムハンマドさんはアイスブレイクも兼ねたアクティビティを用意していた。私はそのお手伝い係である。

(アイスブレイクでの一コマ)

アイスブレイクが終わった頃にちょうど夕暮れの時間となり、前回同様、会場に大量の食事が運ばれてきた。マフムードさんに促されて、私は職員と来賓のテーブルについたのだが、皆一様に言葉をほとんど発することなく食事を口に運んでいた。私もそれに習って、黙々と目の前にある食事に手を伸ばした。
ひとしきり食べ終わると皆徐々に話し始め、学校の敷地から出て煙草を吸う人もいた。

(食事解禁まで30分。テーブルを囲んで食事が届けられるのを待つ)

21:00。イベントが終わり、子どもや来賓も帰っていったため、私達も帰ることになった。

このラマダーン期間中は、普段以上にムスリムの信仰心を感じることができる。
ラマダーンには、国、民族、貧富の差といった括りを超えて一様に断食をすることで、食べ物や飲み物があることへの感謝の念を持つと同時に、貧困に苦しむ人達への気持ちを理解するといった趣旨があるという。

一見すると日本とはかけ離れた文化や習慣のようにも思えるが、立場や身分を超えて互いに思いやる、人間の根底にある個人の尊厳はどこに行っても変わらないはずで、また変わってはならないものである。

ラマダーンについて知り、実際に現地の人に習って断食を経験するなかで、こうした自明の事実を教えられた気がする。

【ナクバ】

そしてこの日は、アラブ人にとって重要な意味を持つ一日であった。

1948年5月15日。イスラエル建国に伴い、パレスチナに故郷を持つ約75万人の人々が土地を奪われ、家を追われ、故郷を占領されたことから、5月15日はその悲劇を象徴する日として、「ナクバ(大厄災、大破局)」と呼ばれている。

離散から70年以上が経つが、パレスチナの地をめぐる問題は一向に出口が見えない状況である。それでも彼らは、家族、土地、故郷を失ってもなお、歴史的不正が正されること、祖国への帰還を求めて叫び続けている。

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