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【タイと日本を結ぶ人身取引の闇⑤ [別れと始まり]】

いつもnoteをご覧いただきありがとうございます。

前回の投稿はこちらからお願い致します。


前回は、山岳民族の村で行ったボランティアワークと、子どもの登校に帯同した際のレポートを綴りました。
村での数々の経験は「豊かさとは何か」を改めて考え直す機会を私達に与えてくれました。


今回は、ホームステイを終えてパヤオセンターに戻った後の内容です。

パヤオセンターの詳細についてはこちらに綴っています。



【別れ】

この滞在期間中、センターの子ども達はボランティア達にとっての小さな先生役として簡単なタイ語を教えてくれたり、遊びにも誘ってくれたりした。

終わってみれば、私達が子ども達に何かを提供したというよりは、むしろ子ども達から学ばせてもらうことの方が圧倒的に多かった。

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職員の皆さんはいつも朗らかで、親切にボランティア達をリードしてくれた。
彼らの存在なくして、この実り多い日々はなかったと確信している。

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そのような日々も間もなく終わる。
そう考えるとどうしても名残惜しさが押し寄せてくる。

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送別会の折には皆、人目もはばからずに別れを惜しんだ。
しかし、センターを去る際にはそれも笑顔に変わった。

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いつか再会できることを願って。

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【20日間を終えて】

「最初で最後の海外。手にしているパスポートもこの20日間が終わればもう使うことはないだろう」

当初の見立ては大きく外れることになった。

この一年後、今回とは異なるメンバーで再びこの地を訪れ、ケーススタディや少数民族の村でのホームステイ、ボランティアワークなどを行った。
そして更に一年後には単身でタイを訪れ、センターの子ども、職員との再会を喜んだ。

惰性で過ごしていた大学生活を脱却し、一転して国際協力の分野に関心を抱き始め、文献やレポートを読み漁るようになった。


・子どもが商品のように売買されている現実。
・国を越えて横行している人身取引の現実。
・そのような人身取引には日本などの先進国も大きく関与している現実。

これらの衝撃的な現実を知らされた当初は、その問題の規模の大きさ故に「何か行動を起こしたいが自分に何ができるのか」と葛藤の日々だった。今でもその思いは抱えている。

それでも、直接的に問題解決へと繋がる手段ではないが「情報を発信すること」は自分でもできることの一つだと思った。

昨今はインターネットが発達し、あらゆる形で世界と繋がることができる。
世の中の事象に関心を持ち、情報を共有し、発信し続けることが世界を変えていく大きなエネルギーとなるはずだ。

それを信じて、拙筆ながらこのような形で発信を続けている。


子ども達を守ることは未来を守ることに直結する。

そして未来を守ることができるかどうかは、今を生きる私達一人ひとりの生き方に委ねられている。


限られた一部の人だけが幸福を味わえる世界ではなく、より多くの人が安心して平和を享受できる世界の実現を心から願いたい。


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