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鬱だった頃、私を良くしてくれた母

こんにちは、アルゴンでございます。

いかがお過ごしでしょうか?


過ごしてきて、改めてお母さんの存在が大きいなと感じた。

先日、カウンセリングに行ってきた。


その時にお母さんの偉大さを改めて私は思い知った。


鬱になった途端の頃

まだ、病院行く前の頃だった。体も心も果てて・・。歩くのも起き上がるのもやっと。

涙が出て、とにかく死にたい・・そんな思いにかけられていた。

体は完全に風邪、体調不良の状態の体。

とにかく早く病院に行きたかった担当が水曜で、脳が壊れだしたのは、木曜。約一週間待たなくちゃいけなかった。その間がとてつもないが、地獄だった。

そんな時、休もうと、当時通っていた就労移行支援を・・。

今思えば、普通に働くのではなく、最初からB型の道に進んでいたらメンタルがドーンと落ち込むことなかったのになと後悔しています。

結局は体や心がついていけなかったんだろうな・・って。

休むと言った時、お母さんから怒られるのではないかとか舐めているだろうと覚悟して言ったが・・。

母 そっか、分かった。アルゴン頑張っていたし、ゆっくり休みな。

 水曜に病院行って、教えてね。

と優しく言ってくれたのを今でも思い出す。

そして、生活リズム狂いだしそうな時でも

母 眠れなくても、眠れなくたっていいじゃないか。その分、朝は
  ちゃんと起きる事。散歩する事。辛くてもそれだけは守って

その言葉に半ば無理やり起こされて、散歩も強制。

でも、今思えば、体は怠かったものの、歩ける体力はあったのは、まだ良かった。

カーテン開ける余力があったから。

だからといって、就労移行に行ける体力はなかった。

後日行ったんですが、とにかく笑顔が作れないし、視界が狭かった。

皆の事などどうでも良かった。

とにかく早く帰りたい、気持ち悪い、座るのでも精一杯状態だった。

散歩したとき、少し、感覚的に気分が落ち着くのを感じた。

朝ごはんは少量でもいいから、食べてとのこと。

食欲なかったんですが、無理やりでも押し込んでいた私。

その後、吐き気したのを記憶に覚えています。

妹からジム行こうよと誘われて、行く事に。

気は紛れたが、辛い・・。

というか、運動も疲れるが、その後、もう何も頭考えられなくなっていた。

好きだったスマホやパソコンが手の届く範囲なのに、興味なかった。

まるで、飾りだったかのように。

休んでいいよという母の優しさが少しずつ回復に近づいて行った。


回復してから、怠けを覚えてしまい、喝を入れてくれた

時は、半年が過ぎたあたり、何も行動せずに、大分回復してきて、ゲーム三昧だった私。

そんな私に喝を入れてくれたのは母だった。

母 少しリハビリしたら!?このままだと外に出るのが怖くなって
 ニートにになるわよ!少しだけでいい、外に出てくれない?

と言って、落ち込んだ。

その後だった。

母 B型ならどう?

 正直その頃の私は、B型に眼中になかった。

母 ここアルゴンに合いそうだけど、少し動画見る?

 そう言って、動画を見せてくれた。

 今通っている場所である、そこの動画には、在宅でできるようになる、パソコンに特化した所だった。しかも普通のB型とは特殊だった。
 同じような精神疾患の人が多かったからのも一つの決め手だった。

 私は一生働けないロクな人じゃないと自分の中で思っていた自分の殻が少し破れて、私は涙が自然と出ていた。

母 どう?
 優しく聞く母。

アルゴン 行きたい、ここに。


 働き口がないなと悩んでいた時に、お母さんが一生懸命調べて
母 今色んな働き口あるから、心配ないよ、焦りは禁物だから

 と言ってくれたりしていた

 私はB型行く前、地域活動支援センターに行っていた。

 そこは、前、相談員さんがおススメしていた場所だった。
 その時に初めて行動した。
 
 その時は、今でも覚えている。少しだけだったのに、滅茶苦茶疲れて、昼寝をしすぎた記憶がある。
 何だろう・・。こんな私疲れる人間だったっけ?って。

 普通の3倍くらいの体力を持って行かれた気分だった。

 その後、B型に行き、慣れない時はあれだったが、今では少しずつ定着している。

 そして、私の事を何より分かってもらえるのも嬉しいし、一緒になって、頑張ると言った感じだ。

 勿論、私が解決策を導く、それを補助して、参考にと教えてくれる管理者やスタッフ。

 配慮してくれて、今では本当に感謝だし、お母さんがここの場所を調べてくれて・・。自分に合っているなと感じた。

 そして、週を増やすのも少しずつ焦らないようにしていく。

私がどん底だった時、裏で私を元気づけようとしてくれていた

 私がどん底の時に、私の好物が多く、どうしてこういう時に限って・・と思っていた。


 チキンスティック、唐揚げ、豚汁等

 ハードな料理をこなしていく母。

 正直いらないと思っていた。

 でも、後に私が大分回復してきた頃、父が言っていた。

父 お母さんな、アルゴンが少しでも笑顔でいられるように、
 元気づける為にしていたんだ。勿論食欲ないって分かっている
 けど、あの頃の元気さを取り戻そうと頑張っていたんだ

 その言葉に涙が出そうだった。

 私の為に、悪者になって、怒って、でも、それは愛情がある怒り方だからこそ、涙が出る。

 先生がおこっている時は、何も思わなかった。

 でも、母の怒りは、毒親とお互いに認知しているが、それでも、心配してくれている、私の為に自立させようとしてくれたり、楽しんでと言ってくれたり、時には厳しい言葉をかける母。


まとめ


 鬱だった頃、本当に一番支えてくれたのは、母だった。

 回復する時も、どんな時も、一番。

 自分が毒親立場であろうとも、悪者になろうとも、私を立派な一員に。
そして、心を落ち着かせるために、散歩やちゃんとした生活を送るようにしてくれた母。
 トラウマだった眠れない事も眠れるきっかけを作ってくれたのは母。

 自立心、メンタル、色んなことを教えてくれた母。

 そんな母に一番に恩返ししたい。

 自立して、お金に余裕があったら、コロナが落ち着いてきて、いつか旅行に連れて行ってあげたい。

母&父 安心して死ねるな。もう思い残すことはない
 そう言ってくれるように、私より先に両親が亡くなる。
 その時に、依存しないように、悲しいけど、乗り越えられる力を今の内から身に付けていきたい。


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