悪書と良書(小学卒業前話)
小学校卒業の前に、担任の先生が本についての話をしてくださった。いまだに、正しい理解かどうかわからないが覚えている。
「みなさん、これからもたくさんの本を読んでください。読むだけ、読んで考える、読んで血や肉にしてください。
本は、いろいろなことに役立ちます。また、悪いことを覚えてしまうこともある。また、悪いことを知ることで間違えを起こさない歯止めになります。
まずは、乱読をしてください。読書は無駄になりません。良書から大いに学び、悪書からも学び自分で交通整理ができるようになりましょう。」
と、こんな話と記憶しています。
その時、二つのことを考えた。また、具体的に代表的な良書や悪書をあげてほしかったなとも...。
ひとつめは、文学や小説が良書で漫画が悪書。
ふたつめは、文学や小説が良書でエ◯本。
(ひとつめ)
文学や小説は、活字を読み自分で映像など想像して作品を理解する。漫画は、いきなり映像を見るために想像力かなくなると思った。
(ふたつめ)
エ◯本は、人格形成や教育が陶冶されていない子どもたちには悪しき側面が先行してしまうのは当然だ。だか、時には酒やカラオケのように息抜きに使えば良い。他人に迷惑をかけずに、ちょっとした気持ちを清算出来る。
だが、現在ではIT化された世で、VR・AI+SNSがとてつもなく発展した。もはや漫画本やエ◯は、悪書どころではなくなった。実社会でも、子どもまでが、ド◯ッグや性などの犯罪に巻き込まれている。
でも、先生の話はボクの中で、決して錆びた話ではない。
読書は活字を読み理解すること。また、読書とは多様な側面を持つ行為であること。
そろそろ、梅が咲いている。もうすぐ、桜の開花の話題となるだろう。毎年、この時期になるとナカバ先生の言葉を思い出す。なんと、52回目😆
かわせみ💎
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