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身の丈で葬儀 覚書(4,766文字)

1、介護の様々

 母が福祉系の施設に入所します。約3か月かけて準備しています。今日、荷物を運びました。明日、介護用ベッドが搬入されます。残るは、ベッド・メイキングだけです。

 父のこと

 凡そ10年前、父はパーキンソン病を患いました。日曜日の朝、ぱたっと倒れたまま歩けなくなりました。せん妄・嚥下障害・歩行困難がどんどん進みました。病院に病気で入院するには、あまり高額ではない。ただ、リネン系の費用は意外に高かった。また、症状が落ち着いたら退院をさせられるのはいうまでもない。
ソーシャル・ワーカーのいる公立病院だったので、初めてのボクらは助かった。しかし、入院するや否や3ヶ月後の居場所を決めなければならない。知識のないボクらは、特養や老健が安価と聞き何箇所か出向いた。とても親切な施設ばかりだった。ただ、どこも3年待ちぐらいが相場だと聞いた。そこで、みなさんはどうしているかも聞いてみた。余裕のある方は有料老人ホーム(30〜)。その他の方は、安い(20〜)が3ヶ月で出ることが条件の施設を回りながら特養や老健を待つ。ただし、老健は少しでも改善が見られたら一年で出ることが条件。
 大好きなお父さんのこと、入浴はヘルパーに頼みボクが概ね介助することにした。すでに立派な褥瘡を患っていた。2ヶ月ぐらいの間、ユーパスタで治療で完治した。朝起きてバケツにお湯を汲み部屋に行った。オムツを替えて全身を拭いた。同じことを帰宅後と寝る前にやった。文盲だった父がボクが読み書きができるようにと、大学まで出してくれた苦労を考えれば微塵のこととしか思わなかった。
 2回目の入院をした時に訳あって胃瘻となった。しかし、ボクには胃瘻の対応ができなかった。運良く、介護度と胃瘻という条件で特養に入ることができた。家内のひらめきと行動に、今でも感謝している。今度は半年に一度、胃瘻のチューブ交換通院介助とオムツとミルトンの供給が役割となった。やっと落ち着いたと思ったころ、家内と北海道旅行中に急逝した。

 母のこと


 8月6日に福祉系施設に入所しだ。家具や身支度類を運び込んだ。あとは明日、介護ベッドが搬入されれば完了となる。この計画は、約2ヶ月前から始まった。その理由は、家族全員がそれぞれの主人公として生きれなくなったからだ。  
 母は89歳。70代に要支援2となった。自宅の風呂が使えないという理由でデイ・サービスへ通った。80代に入ると、股関節を骨折した。この時は、要介護1となった。かなりサービスの幅は広がった。
 前年12月、原因不明の歩行困難になった。幾分、役者なのでほっておいたが、救急車を要求したので手配した。念には念を入れた検査を済ませて2月に退院した。この時、要介護4が認定された。当然、病院のソーシャル・ワーカーに施設を勧められた。しかし、これといった病がないため、父と違い擁護された施設には入れない。有料老人ホームとなるわけだ。400万/年。また、これに対応が加わる。家族の負担は少ない。
 家内と相談した。まずはデイ・サービスとヘルパーを組んで在宅介護をすることにした。ボクはお父さんの経験があるので介護は苦ではない。ただ、下の始末と着替えできないといった。風呂はデイ・サービスで着替えはその時持たせることにした。また、行かない日はヘルパーを適時に頼んだ。かなり枠があり、国民年金の母でありながら余裕があった。
 家内は、掃除・洗濯・食事などになってくれた。また、通院から訪問医療を探した。このリズムが確立するまでに3ヶ月かかった。やっとと思った時に、皆は自分の住処を失いかけていることに気がついた。介護を受けいる母も理解のできないことを叫んだ。
 一生懸命に、自分の時間を割いている側からは理解できない発言であった。当然のごとく、親子・夫婦・同居の息子も含め人間関係の地獄絵図となってしまった。ボク達夫婦はまだ働く。だいぶ老後の支度は出来たが、それで安心出来る世の中ではない。急な病にならぬように、しっかりやらなければならない。また、ボク達はボク達で終活を楽しむ。その思い出を持って三途の川を渡りたい。阿弥陀如来様に導かれ苦もなく悩みのない極楽浄土へ行きたい。それで頑張れる。
 今回は生活の量(金や食べ物)の問題ではない。生活の質(心の軋轢)だと思った。心の問題は正義がつかない。時が解決するともいうが、身内ほど深く問題となるケースを良く聞く。やり直しても良いが、ボクは家族を細分化する決意をした。この判断は勇気がいる。むしろ、世間では恰好の話の種になる。ただ、話の種にした方ほど手は差し伸べることをしない。これは、世間の悪しき部分だと思う。
 ただ、細分化を固定概念でしか考えることの出来ない人間は無理であろうが、臨機応変に家族の在り方を変えればいいわけだ。いまはこれを選択したまでに過ぎない。と言うわけで、ボクは入所を選択した。そして、時が経ち新しい良い方法を考えることにした。よく言う姥捨山ではない。仮にそう見えても、全員が絶対にリセットできるはずだ。また、それ出来ないお〇〇さんは家にいない。
 同居していない長男が、母ちゃん大変だから500万円くらい送ると連絡が来た。ありがたい気持ちにお礼を言い、送金は控えてもらった。このことは、とても嬉しかった。ボクはともかく、家内は息子達がちゃんと守ってくれることを確信した。家族の在り方は、それぞれがニュートラルな状態がいいとつくづく悟りました。お金だけでなく、子どもたちも、親の生活を考えてくれるようになった。
 入所の意義は、いろいろ形があること悟った。また、息子たちの成長を気付かされ出来事であった。新しい家族は、大家族から核家族になっただけではない。それぞれが縦横無尽な在り方で、自己実現する時代なのであろう。

2、コロナ禍以降、葬儀...

 近く母の葬儀を行う。24日に亡くなった。25日には、すべての段取りを済ませた。兄弟のいないボクはすべてを決めた。また、相談すべく方はもういない。
 およそ10年前に父を送った。コロナ前は、結婚式の簡略化、また住宅事情などから結婚式場は葬儀場などへと変っていた。
 ボクも現役だったことと、最低限にお世話になった方へは声をかけせていただいた。質素をと思ったがそれなりの葬儀だった。
 時制の移り変わりと身の丈を考えた。で、こんな感じにする。それは、家族だけで送る一日葬だ。現在、母は家にいる。出棺も家からとした。
 そして、遺骨は1か月家に置く。四十九日の法要の際に納骨をする。その際は、ごくごく縁の濃い方にお越しいただく予定だ。

 また、これを決めるにあたりいくつかのキーワードを知った。せっかくなので記す。
・家族葬
参列者は家族のみ。家内と息子ふたり。
・一日葬
通夜をせず、納棺から忌中払いを1日で済ます。
・火葬葬
納棺への迎え、納棺、火葬場までの式。
(ただし、僧侶は呼ばない)

 多様化する中で、喪主が決めれば良いこと。簡素化するわけではい。その在り方に良い悪いはないはずだ。大切なことは一つ。故人を思い、心から送り出すことボクは思う。
 さ、これから仕事だ。働くことが何よりの供養と先代の大住職からの学びを実践します。

母が描いた紫陽花

3、葬儀 = 準備・葬儀・手続き

 おととい自宅にて、家族だけの一日葬で母を送った。丸一日、実の親子4人となったのは何年ぶりか...。亡骸を胸に、ボクは家路の際にそう思った。意外に情の厚い長男が、「親父、俺たちがいれば充分だろ」と言った。表情は変わっていなかったが、家内も次男もそう思ったようだ。
 さて、お寺様と葬儀屋とは別に、役所とのやり取りかなりある。葬儀に先立って、死亡届を出さなければならない。そして、火葬の申込みをしなければならない。ただ、これは葬儀屋が代行してくれる(コピーは数枚残す←テストに出ます)。ところが、葬儀が終わっても自分が役所への届出は驚くほどある。手続を済ます前に、デニーズで冷やし豆腐担々麺を食べた。

 ボクの場合は、簡単だった。母に財産がないことや社会的な補助を得ていないで、その手続きは簡単だ。しかし、人によっては、多くの処理をする必要がある。羅列してみる。
・世帯主変更届出
・印鑑登録
・マイナンバーカード等
・年金
・ハンデ関係
・市税
・子女がいるとき
・公的インフラ
・その他(霊園、住宅、農地・森林他)
ざっと、これくらいは確認しなければならない。また、財産等が多い方は通帳の凍結前に引き出しをするらしい。(これは、余談🙇‍♀️)

 人の死は悲しい。しかし、通過儀礼と社会的手続きは並行して進めなければならない。うちのように、両親に資産がない(実家から援助もなし)。兄弟はいない。だから、ボクが全部決めて全部進めた。
 世間様からは奥さんはと、アドバイスをもらう。家内は仕事を持つ。家事も100%で手を抜かない。だから、ルーチンと例外はボクの仕事だ。やって、当然だ。

 ただ、面倒なことだと考えることはない。よくよく見れば、住所・名前などをかくだけさ。いささか、どの書類も似ていて後に記憶がないが...

  整理します!
葬儀前 お寺様と葬儀屋の打合せ
葬儀後 市町村への手続き


 葬式は、「準備・葬儀・市町村手続き」の三位一体で成り立っている。すべて、手を抜くことはできない。ただ、落ち度はつきまとい、それに恥ずべきことはない。それで、いいと思う。

4、仏事は次から次へと

 無事に葬儀が終えると、その後に市町村への届出があることを先日書いた。確かに、それで一件落着だが、普通の仏ごとはそれにとどまらない。すぐに、49日の法要の準備をしなければならない。
①住職に日にち決めてもらう。 ◯
②お客様へお願いをする。 ◯
③葬儀屋と花や進行等の打合せをする。 ◯
④会席、土産などの準備をする。 ◯
⑤納骨があれば石屋さんの手配をする。 ×
⑥市営霊園の手続きをする。 ◯
⑦香典返しの精算をする。 ◯
⑧葬儀後の来客への挨拶回りをする。 ◯
⑨年金手帳の返却と振込先の手配をする。 ◯
⑩本人の通帳や財は人それぞれ うちはナシ笑

他にもあるが、
今日、ほぼ午前中に済ませた。兄弟がいないボクは家内にサポートしてもらっている。ボクより、断然常識を持ち合わせているのでとても助かる。
 たまたま、石屋さんが定休日だったので、そこは家内が明日連絡をしてくれることになった。
①日時、8月◯日
②霊園の所在地と墓地の番号
これですべて完了する。

 朝8時から動いて、11時半に終えた。近場で済むのは、田舎者だけで暮らすボクらの特権かもしれない。

その後、丸亀製麺で冷やし山かけうどんを食べた。

5、墓石に刻んだ一文字

青は藍より出でて藍より青し」

 言わずもな、有名な言葉です。ボクにもあった子どもの頃に、NHKの朝ドラで知った。
 以来、藍に愛を重ね合わせ、ボクの家の繁栄を願う文字とした。およそ10年前、横型の墓石にも「藍」と刻みました。いかがでしょうか。

付記 水ガマスのフライ

水ガマスのフライ
水ガマス 399円
ウルメイワシ大 600円
小ムツ 一皿299円


 水ガマスはフライ用、ウルメイワシは照焼用、小ムツは唐揚げ用に頭と腑を取った。

 昨晩は、水ガマスのフライを食べました。実は、鮮度抜群の相模湾産です。

 魚屋さんは、家族でやっていました。父は12年前に亡くなりました。母は一昨日亡くなりまた。

 30日には、家族4人で母を父のもとへ送り出します。菩提寺は西本願寺(お西)の末寺です。一番の供養は、残された者が働くことと。盆飾りさえせず働けとのことだ。

 たまたま、二日間連休でした。その間に、すべての段取りはつけた。今、職場にバスで向かっています。しかも、めったにない早出だ。


かわせみ💎

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