救護施設の支援の始まり方は、、
今日は、久しぶりに福祉のことを書くよ。
では、どーぞ。
〇救護施設の職員として
救護施設で働く以上、支援を組み立てるにあたって、たぶん変わることがない考え方がある。
僕の変わらない考え、それは
「利用者は何もしなくていい」
ということ。
でもこれは、利用者の代わりに職員がなんでもする、、ということではない。
あくまで僕たちはサポートで、行動を起こすのはいつだって利用者であることは変わりない。
じゃあ、どういうことか。
僕が言う「何もしなくていい」は、その頭に「強制的に」とか、「望まないことを」という言葉がついてくる。
つまりあれだ、生活保護を受けているからと言って、勤勉な働きアリになる必要もなければ、陽気なキリギリスになる必要もない。
極端なことを言えば、利用者は生きたければ生きればいいし、死にたければ死ねばいい(自殺、ダメ、ゼッタイ)
こちらから無理にさせることは何もない。
こんなことを言うと、じゃあ施設の規則を守らなくていいのかとか、法律も無視していいのかとか、揚げ足を取ろうとする人も出てくるだろうけど、
ま、でもね、その揚げ足こそ僕が今日話したいことだったりするんです。
〇やりたいことは?
救護施設に入所している利用者に、僕は何かを無理矢理させることは基本的にない。なので、僕から「アレしろ、コレしろ」と言って支援が始まることも基本的にはない。
利用者は何もしなくてもいいんだから。だけど、しないといけないことは必ず出てくる。
矛盾してると思う?
矛盾してると思うかもしれないけど、それは違う。利用者が「しなくてはいけないこと」は利用者の「やりたいこと」に付随しているからだ。
例えば、一人暮らしをしたい利用者がいたとすれば、その利用者は一人暮らしをするための能力を身に着けなければいけない。
家事、随時、掃除とかね。
その能力を自分だけの力で身につけることが難しいとすれば、何かしらのサービスや手助けに依存すればいい。全てを自分だけで賄う必要はない。
ただ、サービスは有料だったりすることも多い。それを踏まえた生活スタイルの整備も必要になってくる。
例えば、週に2回ヘルパーを依頼する、そこで何をしてもらうか、そういったことを整理する力も立派な能力だ。
凄く漠然と書いてしまったけど、一人暮らしをしたいという利用者の「やりたいこと」には他にも色々な「やらなきゃいけないこと」が必ず付いてくる。
一人暮らしだけじゃない。
例えば、何かを買いたいとき、買うためのお金が必要だ。お金がないなら、お金を使わない買い方を考える必要がある。
電車で椅子に座りたければ、足を曲げる必要がある。施設で生活したければ、施設の規則は守る必要がある。
やりたいことには、やるべきことが付いてくる。
で、僕の仕事は何なのか。
僕は、利用者の「したい」を実現させるための「しなくちゃいけない」を出来るだけスムーズにクリアできるよう、支援を組み立て実行する。
僕の仕事は利用者の「したい」を叶えることじゃない。利用者が「したい」を叶えること、そのサポートが僕の仕事だ。
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