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半径2kmの中を知らない


 一度故郷を離れてみると、自分の故郷の持つ優しさとか安堵感というか、なんかそういう--言葉にし難い--ものを改めて感じることになる。旅によく出る人ならば、ホームグラウンドの持つ絶対的な安心感についてはわかってくれると思う。それは実家、母校、高校の最寄り駅、山とか海の自然、姿形は様々である。

 特に何もない町だ。新築の家も古風な家も入り乱れている。子供の数は多い、小さな公園でさえ子供たちは走り回っていて賑やかだ。町の中心にある小学校の前には穏やかな川が流れている。駅は遠い。町の中心からだと最寄りの駅まで車で15分はかかる。治安は良くない、いわゆるヤンキーが多い。

 一度県外に出て行った経験から、私は改めてこの町にしっかり目を向けるようになった。いざ見つめてみると、この町に立つ私は、今この半径2kmの中でさえよく知らないということに気がついた。それは、注意して目を向けようとしなければ決して目に入らないものばかりであるからだ。

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 十数年通った通学路沿いに、こじんまりとした喫茶店がある。その存在は昔からずっと知っていた。よく足止めを食らう信号の角にあるから嫌でも存在は認知せざるを得ないのだ。
 だからこそ無意識下に放り込まれて行ったのかもしれない。いざその喫茶店を"個の喫茶店"として認識下に置いてみると、それは驚くほどに正統な喫茶店だった。私が生まれる遥か前から、姿かたち変わらずここにあるのだろう。その日からその喫茶店は私の町のランドマークになった気がした。20何年目の進展、その喫茶店は正しい"風景"になったのだ。

 私の町の風景は、RPGの背景のようなただの着色された壁に過ぎない。

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 あの交差点の角にあるテナントは激しい頻度で中身が入れ替わる。コインランドリーからコンビニになり、リラクゼーションショップから保険屋を経てついに学習塾に落ち着いた。
 その学習塾には私も通っていた。そしてその学習塾は数年経った今でも変わらずにまだあったのだ。なんだか少しガッカリしている自分がいた。
 私は風景とは生き物なんだと思う、だからいつか必ず死ぬ。建物にとって、"死"とは決して更地になることだけではない、成長と変遷を終えてひとつの終着点にたどり着くことも建物にとっての一種の"死"だと思う。

 私の町は、死んでいる。

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 私の町を横切るように川が流れている。昔は流れが急峻でまるで大河のように思えた川だが、今改めて見てみるとなんてことない平凡な川である。溺死するのではないかと思えた深みも、今ならざぶざぶと歩いて行けそうだ。

「対岸に届く橋を造るんだ」と川に投石をして道を造ろうとしていたのが懐かしい。少し肌寒い冬の日、部活帰りの暇つぶし。

 酒の娯楽に目覚めた頃、一晩中飲み腐ったのもこの川辺だった。今では赤面しつつも笑い話に出来てしまうが、当時はこんな人目につく場所でよくも騒いでいたものだ。もうそのときの友人たちは散り散りになってしまったから、ここで酔っ払って月を見上げることもないのかもしれない。

 あの橋のふもとは相変わらず暗くて狭かった。

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 私は、こんな町が好きだ。


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