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ニートになれない

 なにをするにしても、"向き不向き"というものがある。内向的な人間に飛び込み営業は出来ないし、陣内智則に漫才はできないし、太刀使いにヘビィボウガンは使えない。生まれ持った才能や資質というものは概して人生の選択肢を狭めることが多い。

 ニートになるということもまた、資質を伴うものだとここ2か月で感じた。

 誰にでもできそうで誰にでもできないのがニートである。何故ならニートをするためにはある程度のバックボーン(貯蓄や精神的余裕)が必要であるからだ。しかしそれを差し置いても、ニートになることができる人物は選りすぐりのエリートだと思う。

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 ニートは暇である。当然だ、教育も受けていないし労働もしていない。朝起きて腹を満たして夜に寝るというサイクルを繰り返すだけの、社会的な意義もおおよそ持ち合わせていないし、それこそ動物と大差ないのだから。この単調な繰り返しの日々には大きな苦痛を伴うので、強靭な精神力が求められる。

 三大欲求を満たすことが出来るということは、生きとし生ける生物すべてに与えられた権利だ。生きるために食べ、生き続けるために寝て、そしてこの先ずっと生き続けるために子孫を残す。人間を除く動物たちほぼ全ては半ば機械的にこれらのサイクルをこなす。

 しかし、三大欲求の"質を上げること"に楽しみを見い出せるのは人間だけに与えられた特権だ。そして三大欲求"以外"の欲求を自ら満たすことが出来るのもまた、動物にはない人間だけが持つ特権だ。

 私たちは人間として生まれたからこそ、ヴィジュアル全振りの料理を食べたり、機能性ゼロのよくわからないブランド服を着たり、焚書坑儒の対象になるような書物だって背徳感なしに読むことだってできるのだ。それならありがたくその恩恵に預かろう。世界は無駄に無駄で溢れている。

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 人生の充足度を満たすためには、ニートという身分ではやはり心もとない。365日休日の人間には週2回の休日のありがたみは決してわからないのだ。いつでも行ける避暑地にも、終わりなき夜にも価値はない。無限に湧く時間と金があったとしても満たせない何かがある。
 何事にもメリハリというものは大切だ。

 働いて食う飯の美味さ、労働と労働の間に挟まった安息日の解放感こそが人間としての質を高める。国民の三大義務というコンテンツを考えた人はおそらく、人生を楽しむためのコツを知っていたのかもしれない。先見の明がありすぎる。昔の人は偉かった。

 大義名分、定時収入、そして遊び心、この3点があってこそ。世界は想像以上に少し広い。


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