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8月1日 『おのみち放浪記』

 福山駅12:52発、普通電車糸崎行き、225系電車だ。故郷の神戸を走っていた新快速と同型、見慣れたその顔に少し安堵した。ただし車両数は4輌、神戸線のやつは毎度12輌くらいあった。実際、乗客の数もまばらだ。

 福山市での所用を早々に終えた私の頭には、すでに尾道のことしか頭になかった。縁があれば寄ってみたいと思っていた地だが、まさかこんな形で機が巡ってくるとはね。こんな大仰なタイトルを付けてはいるものの、実は尾道を来訪するのは初めて。魅力的な噂等はかねがね耳にしていたので非常に楽しみだった。

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 向島を横目に、山陽本線を西へ。尾道の古い街並みが見えてきた。時代に取り残されたような民家が立ち並ぶ。私は一瞬、時をかけてしまったのか?と錯覚したほどだ。電車ごとタイムスリップしてしまったかのような感覚。
 駅前の広場は大きく開けていて、眼前には海が広がっている。さすが港湾地帯、巨大な甲殻類のような赤と白のクレーンがそびえている。砦蟹はおそらくこんな感じなのだろう。

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 とりあえず私は、線路沿いに東へ歩き始めた。有名な坂の街や、カフェや小店が立ち並ぶ商店街はそちらにあるようだ。梅雨がようやく明けた。快晴、滴る汗。

 ランチをどこで済ませるか決めていなかったので、とりあえず目に付いたカフェへ。スパイスキーマカレーを食べた。冷房が効いておらず、お冷も少々ぬるかったがカレーはとても美味しかったので良し。食後にラッシーを飲んだ。

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 踏切と急峻な階段の組み合わせを見ていると、やはり故郷神戸の塩屋の風景を思い出さずにはいられない。塩屋も風情のあるいい街だ。海と山に挟まれるようにJR神戸線が走っていて、坂道や斜面に古民家が立ち並ぶそのロケーションは、やはり尾道と似ているところがある。踏切を渡って階段を数段上ったあと、振り返って見下ろせば見える線路がたまらなく好きだ。誰か、懐かしい友達が踏切を越えてタタタッと駆けて来そうな気がしてしまう。しかし誰もいなかったので、電車が来るまでボーッと踏切前で待ってみたりした。

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 サンダルで来てしまったことを後悔した。急勾配の階段に荒い舗装の道、これが予想以上に汗をかくし疲れる。セミの大合唱に身を包まれ、どこからともなく蜂が現れ私の周りを飛行、疲れてベンチに腰を下ろそうとすると2匹の黒猫がじゃれ合っていたり。私の活気が下がるにつれて、周りの動物たちは元気になっている気がする。

 道の両脇に所狭しと並ぶ古民家は荒れ果てていて、ほとんど人が居住している気配がない。錆びた郵便受けには紙切れひとつない。草木が絡みついたスクーター、割れた窓、あばら家も集まれば風情を生む。すれ違うは観光客ばかり。

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 尾道といえば猫のイメージの人も多いのではないか。ここの黒猫は都会の猫より一層黒い気がする。手が届く距離にまで近づいても、私を凝視するばかりで逃げようとはしなかった。なにか恩返しでもしてくれるのか。あまりにも黒猫が堂々としているので、逆に私が逃げそうになった。急に暑くなったからであろうか、猫の数は思っていたより少ないように感じた。

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 小路の奥にあった佇まいの良いお店でひと休憩。汗が搾り取れるほどびしょびしょになったTシャツを着て入店するのは少し気が引けたが、身体を休めないとさすがに死んでしまう。
 土足禁止らしく、入り口でサンダルを脱いで奥へ。店内はまるで祖父母の実家のような雰囲気。店主の夫婦もまさに日本の夫婦の原風景のようだった。一番奥の座敷へ。向かいに何やら不穏な一組のアベックがいるがそんなこと構いやしない。
 木枠格子の窓から差し込む午後3時の西日は眩しい。またしても私は、塩屋の隠れ家カフェから見た風景を思い出す。故郷から遠く離れた土地にいるというのに、ある種の安心感に包まれていた。一方で向かいの座敷で見つめ合う男女の不埒な会話が、ときおり私のノスタルジーに侵食してくる。読んでいる本の文字列が飛び散らかって読めなくなった。

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 今回は旅行目的で来たのではなく片手間の来訪であったので、あまり長居はできない。約3時間ほどで私は尾道をあとにした。

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