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テキスト考6 適量な文量(文字数)

テキストのサイズをどのように「覚悟」すべきか。長文を読むには忍耐が要るが、読み始めたとき、その文章がいつ終わるのかわからないと不安になる。長文は単に冗長であるだけかもしれず、読み切る価値があるのかも途中で不安になる。文章は長くなると、過剰に複雑化したり、論理整合の矛盾や文脈の破綻が生じるリスクがある。長ければ長いほど、書き手と読み手のハードルは上がる。一方で、ツイッターやSNSでのつぶやき程度の短文では、いささか感情表現に終始するきらいがあって、一段落の文章という体でもないように思われる。意を尽くすには一定の文量は必要だろう。

私が考えるのは、長文はより短く、短文はより詳しく論理的に、という方向性で、長文でも短文でもない適度なサイズのフォーマットが標準的な基準として認識され得ないかということである。決して長文や短文を否定するものではないが、ウェブという画面表示の性質上、記事の文量がわからないという不安感による記事の敬遠は、残念なことだ。一定の規格に準拠した記事ということが事前に読者にわかれば、より少ないストレスで多くの記事にアクセスできるのではないか。(規格といっても文量(文字数)くらいのものだが、形式的に付加できるタグも規格の一部として考えられるだろうか。)

紙の新聞の良いところは、記事のサイズが面積で分かることだが、パソコンやスマホ画面にはそれがない。アナログな私には、こういう「面積」的な情報が必要なのである。


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