見出し画像

私の信じる正義が人を傷つける

小学生の息子と絶縁状態になったことがある。経緯はこうだ


◆原因はコロナ禍におけるリモート授業

彼は今塾に通っている。成績は当時最下位レベル。コロナ禍でリモート授業となった塾の授業で、ひたすら彼はZOOM画面からどうやって隠れるかを楽しんでいた。そう、全く授業を聞いてないのだ。

そして、成績悪化の底なしの負のスパイラルに落ちていった。


私から見た息子

今、学校にいけない子供たちを何人か支援している。

大好きな家族の生活を楽にしたくて、○○になりたい。そんなピュアな学びへの欲求を支援したいと思ったからだ。

一方、息子はとても恵まれている。やりたいことは周りがサポートしてくれる、頼まなくてもお金も出てくる。


私は両親にとても感謝している。厳格で厳しい父が就職浪人中の僕に

「お前が学びたい、ということがあれば死ぬまで働いてサポートする」

そんな言葉をもらった。あの時のうれしさや愛情はいまでも忘れない。


◆「私」の信じていた正しさ

与えられた幸せな環境は当たり前だと思ってはいけない。

常に感謝をわすれず、そしてそれが次への原動力になる。

そう信じていた。


そして息子に言った。

「やりたくないなら辞めろ。環境に感謝できず、今の機会を浪費することは絶対に許さない

私は正しい。そう自信があったから堂々と彼に言った。

そこから彼との関係性が一気に悪化した。

全く話もせず、妻の実家から帰ってこない日が続いた。それでもいいと思った。いつか彼は私の正しさを理解するはずだ、と思っていた。

事態は変わらず数か月が過ぎた。


◆私の変化

変わってきたのは自分だった。

以前記載した「私の強みが逆効果になるとき」の事象を体験し、悶々としている時期だった。強烈に自分の強みや正しさを振り返っている時期だった。

振り返れば振り返るほど、正しいと信じていた自分の考え方に疑問符を持つようになった。

   ・ビジネスでは結果を出し、出世すべし。

   ・年棒は自分への評価、給料は高い方がいい

   ・日々懸命の努力の結果として得られるものがある。

今の世の中で常識とされてきたことだ。

でもね、と思った。

本当なのだろうか?そうじゃなく、幸せに生きている人は沢山知っている。

私は、私の正義を、全く疑いもせず、息子に押し付けていたと思うようになった。

◆私は謝った

時間はかかった、心のどこかで「とはいえ、正しいことを言った。親として必要なことだ。」とずっと思っていた。でも、それすらも相手からしたから正しいかはわからない。


私は素直に息子に謝罪した。そこから彼との関係性は改善した。

彼を信じて見守る、かれの感性を大切にする、意見もしない、価値判断もしない、善悪を決めない。そんな関係を意識するようになった。


これは、子供だけではない。家族でも、地域でも、会社でも、上司でも、部下でも、同じことなんだと思う。


私の信じる「正義」が人を傷つけ、関係性を悪化させることを学んだ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?