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葦会#01 篠原一男「住宅論」


2023年1月の終わり、小さなちゃぶ台を囲んで、記念すべき「葦会(よしかい)」の第一回が開かれた。

筆者(F)は現在大学院を卒業して1年目のペーペー社会人なのであるが、今まで自分の興味のある限り好きに生きてきて、初めて社会に出るとあっという間に脳ミソが凝り固まっていく感じが耐えきれなかった。
基本、人と違う方向へ進まないと気がすまない(天邪鬼)な性格でもあり、このまま社会に流されるものかと、濁流の中で必死に岩にしがみつくがごとく、その岩(居場所)が欲しかったというのが筆者サイドから見る、「葦会」発端の流れである。

というわけで、同志(というより自分が入れてもらっている?)3人で定期的集まる居場所ができた。会自体は、今の所、事前に出されたお題について議論する形式をとっている。

申し遅れたが、同志3人は某大学院建築学専攻の同じ研究室卒の先輩後輩である。基本この会では取り上げるお題のジャンルについては不問という設定にはしたが、第一回は日本を代表する建築家の一人、篠原一男の「住宅論」という一冊を取り上げることになった。

前置きが長くなったが、以下は2023年1月28日に開催した第一回「住宅論」の議事録とする。



篠原一男「住宅論」 鹿島出版 1970

1月28日土曜の18:00に会は定刻通り始まった。
各自スライドを数枚準備している。
発表はこの会の会長Yから。
※かなりゆるい会なので、議事録もなにも記録をとっておりません。
記憶をたどって雰囲気で書いております。あしからず。


葦会の様子 Y(奥)とN(左)

Y: では、まず自分から発表します。
自分の考察した内容の前に3人で今日の話の大体の流れを共有しようと思って簡単にまとめてきました。 

住宅論は12の章からなっていて、各章は新建築の巻頭論文等で書かれた文章であり、1959年〜1970年に初出した論をまとめてある構成です。

N:第一章「日本伝統論」1959年で、篠原一男が35歳くらいのときだよね。

Y:そうだね。そして各章を一言でいうと。という感じでまとめてみました。


「住宅論」各章(Yスライドより)
各章まとめ(Yスライドより)

Y:次に篠原の活動の概略をまとめました。
…………(ほぼ引用なので、各自勉強してくださいってことで割愛。)
まとめると、篠原一男は清家清の元で建築を学び(清家スクール)、その後東工大で教鞭をとりつつ作品を遺した。また、それは「篠原スクール」へと受け継がれ、坂本一成や伊東豊雄、さらにその建築家が妹島和世、アトリエ・ワンなど現在の建築界を牽引する建築家を多く輩出している。という時代感を共有したという感じ。
また、篠原の作品を見ていくと年代ごとに4つの様式に区分できるよってことと、日本の伝統様式について、その平面の分割の特徴から幾何学を作品に用いているよということ。

●参考文献
「篠原一男の住宅作品における設計手法に関する研究」
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/4/47932/20190719135259944666/k7908_3.pdf

Y:篠原の概略を共有したところで、自分なりの感想を。
自分は篠原の建築自体好きですが、特に「上原通りの家」(1976)が特にすきです。住居内に突き出るコンクリートの方杖のような柱がかっこいい。
ふつうに考えれば邪魔なものでしかないのですが、写真や動画を見ていると、邪魔なものがあるからこそ人間の「生」が滲み出るような空間だと思うんです。この家には作り付け収納棚などがないらしく、それがさらに「いかにして住むか」という人間らしさを自然と生み出しているような気がします。

▼動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=6u65rWRjNn8&t=1s


次に、「住宅論」の9章に「原型住宅の提案」という章があったと思うのですが、これにかなり近いことを現在取り組まれている事例を紹介します。
これはインスタの「ふつうの規格住宅」という熊本を中心に規格住宅を販売しているアカウントです。
篠原の原型住宅の提案は、施主→建築家→施工という順序を建築家→施主→工場生産という順序に変革するというものですが、この「ふつうの規格住宅」はまさに建築家発信の規格住宅と言えそうです。


ふつうの規格住宅インスタグラムアカウント

▼ふつうの規格住宅HP
https://www.new-ordinary.net/%E3%81%8A%E5%95%8F%E3%81%84%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B


(筆者心の声)
ここでYが何を言おうとしてどんな議論になったか覚えていないが、筆者はこのとき、「服」みたいだなと感じていた。一般的な住宅のつくり方はオーダーメイドスーツの作り方に似ている。まず、サイズはどうするか。襟の形はどうするか。生地は?ボタンは1個?2個?オプションでポケットを。しかし、私達の普段服はネットなり店頭なりに売ってあるものを探してそれを着る。そこに「既製品」だからというマイナスな印象はなく、凝ったデザインに一目惚れして納得して着ているのだ。それは、その服をデザインしたデザイナーのセンスを受け入れている事にもなる。しかし、自分の家となると自分でカスタマイズしだす。
住宅になるとどうして急に施主が一番になるのか。不思議だなと考えていた。


では次にNの発表をお願いします。

N:はい、自分は「住宅論」を読んで、まずこの論が書かれた時代がどんな時代だったか分野ごとに羅列してみました。

1950・60年代まとめ(Nスライドより)

ざっとこんなかんじかなと思います。

(筆者心の声)金閣寺が50年に金閣寺が放火で全焼して、再建されたのが55年、金ピカの金閣に感動した事を篠原が書いた1章が58年か。ふむふむ。
猿の惑星小さい頃に一度見たっきりだから見直してみようかな。

N:そしてこの本を読んで自分がキーワードだと思ったものを出して、さらにその言葉をポジティブな意味で用いているもの、ネガティブ、中立の3種類に色分けしました。(緑はなんて言ってたっけ、篠原が提言した言葉?かな。)
これで見ると、篠原は合理的なものに批判的で非合理的なものに肯定的。
あと都市や起業に批判的で民家や様式などに肯定的。

(筆者心の声)「空間」をかなり多用しているイメージ。
こんな風にキーワードを出すと、それだけで論の全体を俯瞰できて早い理解に繋がる。今度からやろー。


(Nスライドより)

ここまでは全体を読んだまとめ的なもので、
次に自分が読んで、重要だと思った文、気になった文、他の人の意見を聞きたいところを抜き出しました。


(Nスライドより)
(Nスライドより)

気になった文で「住みやすい」という言葉が意味するところからさらに遠く離れて仕事をしたい。と挙げましたが、この本を読んで、最初は「住宅は芸術だ。」とか、「住宅はその施主のために設計してはならない。」など篠原自身も行っているようにかなりの「暴言」を言っている。しかし、最後の方になってくると住宅が人間の生活と関わることの必要性を繰り返し書いている。この「住みやすい」から遠く離れたところで仕事がしたいのは、施主を遠ざけたいわけではなく、施主の生活、生き方を一番に考えているからこそであると思った。
(Nさんはもっと分かりやすく伝えていて私もその時は大いに納得したのですが、文章が拙く申し訳ない (筆者)

(筆者F)問いのところに「様式」とは?とあるのですが、私も「様式」がよくわからなくて私もスライドに入れているので先に発表してから議論させてください。

では、議論の前にさっさと発表します。

私は、まず本の書き方に関心を持ちました。
私が今まで読んできた建築家が書く建築論は論をもってそれを作品に反映させている、といった構図がほとんどでしたし、「論」というものはそういうものだと自分も思っていました。だけど、この住宅論は自身の作品とは比べないでほしいと言っています。あくまで「論」であって、これが作品のどこにあたるのか、反映されていないじゃないかと粗探ししないで欲しいと。
さらに、この本のなかでは、具体的な批判対象が無いように思います。
建築家の書く本には、批判にしろ肯定にしろ、具体的な建築家や作品が引用されがちですが、あまりない(コルビュジェ、ミース、ライトくらい)。
こういう書き方は、本をきっかけに社会に訴えるとか議論するとかそういうものを超えて「宣言」に近いなと思いながら読んでいました。
そういう意味でもこの「住宅論」はまっとうな建築論だと色んな方々が言っているのかなとも思いました。


(Fスライドより)

F:また、個人的に篠原の作品は知っていてもその思想はちゃんと知らず、数学出身だから幾何学を用いてミニマルな作風なんだと勝手に解釈していましたが、実はそうではなくて、日本の伝統文化や民家研究を経てたどり着いた境地なのだと。いろんな先祖が築き上げた文化は現代の合理性では生まれ得ないもので。篠原の作品がミニマルな空間に見えて、でもそこに人やものの息吹のような、湿り気を感じる理由がわかった気がしました。

もう一点。「住宅は芸術である」→「私のつくった住宅はいつまでも地上に立ちつくして欲しいと願っている」このような篠原の一連の思想がありますが、最近、から傘の家はスイスのヴィトラ キャンパスに移築されました。この移築はまさに篠原のこの思想を体現しているように思うのです。本当は人が住んでいるほうが良かったりしたのかもしれませんが。

(Fスライドより)


「建築」を維持するためには建築を「芸術」にして「メディア」「マスコミ」に触れされ、文化を維持するしかなかった。(でないと産業化の波に飲み込まれてしまう)高度経済成長の真っ只中で実はとても必死だったような気がするんです。
そしていつの時も困難だった現代社会をなんとかくぐり抜けて生き延び、最後の余生を生きている、本当に家が生きているようだし、この写真はただただ美しいなとおもいました。

▼アーキテクチャフォト「から傘の家移築」
https://architecturephoto.net/150307/



(Fスライドより)

そしてさっき言った、篠原の言う「様式」がよくわからなかったというところです。様式ってなんなのでしょう?

(筆者)ここで一通り全員の発表が終わり、自由に議論が続いたのですが、話すと長くなる+内容を語弊なく伝えることが私の記憶では難しいことから、ちゃんと書くことは控えたいと思います、、、(逃げ)
次回からはちゃんとメモをとっておきます(反省)なかなか、議論の当事者が議事録用にメモるのは器用じゃないとむずかしいなぁなんて思います。

様式の話に少し戻ると、そこでの議論は
・モダニズムは様式か?
・ではポストモダンはどうか。
・今の建築は様式が消えてかかっている。(様式の必要性がない?)
・ハウスメーカーなどの一般的な規格住宅は篠原の言わんとする「様式」では無いとおもうが、時代的・社会的にみれば、様式と言わざるを得ないように思える。

みたいな議論をしたと思います。


●まとめ

つらつらと書いてきましたが、実際にはちょうど2時間くらい議論をしてお腹も空いてきたので続きは夕食を食べながらしようということで会自体はお開きになりました。かなり多くの事を議論したので全部は書けていません、、、

N:普段それぞれ実務ばかりに追われ建築論などとはしばらく離れていたので、久しぶりに読んで新鮮だった。

Y:それこそが、この葦会の目的だったのでよかった。次回のお題担当はNでよろしくお願いします。

N:自分は建築の本じゃなくて、最近人類学の本を読んだりしているから、そこらへんで考えようかなと思っています。

F:次回も楽しみです!



■次回は2023年2月18日㈯18:00- 
 「ラインズ 線の文化史」
  ティム・インゴルド:著 工藤晋:訳
  左右社
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BA-%E7%B7%9A%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E5%8F%B2-%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%83%89/dp/4865281010/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=1287G0ZK1WWPD&keywords=%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BA&qid=1675655344&sprefix=%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BA%2Caps%2C268&sr=8-2

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