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【コラム 32】肉魚を“やめる”ことは危険

(1649文字)

こんにちは。

廃墟が好きです。オカルトとかではなく、世界遺産を見る的な感じで好きです。歴史を感じられる物件は良いですね。

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お肉お魚が好きな人、たくさんいますね。「好きな料理は?」と聞かれて、「肉!」と答える人は、結構遊び心のある人だなって思います。

“ベジ”なライフスタイルになってから、自分自身の心身の変化がとても大きくて、この感動を伝えたくていろいろなところで話をしてきました。
家族であったり、友人、知人、恋人、仕事の方々など。

その中でよく耳にしてきた言葉としては、

「肉(魚)はやめられない」

という言葉です。
“ベジ”なライフスタイルの私ですが、肉や魚を“やめる”ことは危険だと思っています。正直、「やめろ!やめろ!」と騒いでいる過激な“ベジ”な方々の方が苦手だったりします。

しかし、

私はお肉やお魚を食べることはありません。今、暮らしている部屋に引越してきてから、キッチンで肉や魚料理を作ったことはありません。

矛盾しているように感じる方もいるかもしれませんが、私の中では腑に落ちています。

人は何か決まり事やルールがそこに設定されると、窮屈さを感じるようです。今現在、世界的に流行してるものから外出自粛や在宅勤務などの措置が取られています。そんな中で、普段はゴロゴロ、だらだらと過ごしていた人まで、用事もなく外に飛び出したくなったりしているそうです。

自由の中において、ひきこもって自分の時間を過ごすことはとても気持ちが良いものです。やりたいことや考えたいこと、そのための時間を自分だけに使う、こんな贅沢な時間はありません。…ただ現状、ルールの中でのその時間は制限でしかなくなってしまっているのです。

これは食においても言えることだな、と感じています。

私が“ベジ”なライフスタイルをとりいれはじめた10年ほど前、週に1食からスタートしました。1日3食として、3食×7日=21食のうちの1食、そこからでした。
そして気が付けば、週に1日、2週に1日、月に2週間、そして月に数食の“ノンベジ”、そして現在に至ります。

私がこのような道のりを「自分のペース」で歩んでこれたのは、そこにルールや制限というものがなかったからだと、確信しています。
健康面で突きつけられるデータ、悲惨な畜産の現場などを見せつけられて、それを強いられていたら、私は自分を守るためにそれらから視線を逸らし、“ベジ”なライフスタイルとは無縁の生活をしていたか、すでに死んでいたと思います。

私は、ときに

“やめる”ことは、“病める”こと

に繋がるのでは?と、そう思っています。

何かを“やめる”ときにかかる労力や精神的負担は大きいです。今までの自分を捨て去るかの如く、とっても覚悟のいることだと思います。

しかし、私が伝えている“ベジ”は、肉や魚をやめることではなく、むしろその逆で自由そのものです。これは、考え方とか捉え方の話ではなく、私自身が実際に歩んできた道に用意されていたリアルです。

いわゆる“ベジタリアン”の私ですが、
お肉やお魚を“やめた”ことはないのです。


しかし、この話をしても受け取り手によってそこにルールや制限がトッピングされ、さらにイメージや価値観も派手に盛り付けられて、全く別の料理として捉えられてしまってるように感じることがあります。

私は“ベジ”を楽しむことがは、今までの価値観を捨て去ることではないと思っています。むしろ、その価値観をさらに高め、昇華させるものだと思っているくらいです。

すぐに何かを“やめる”という発想がある方。
この発想は日常生活の中で、食に限らずところどころで顔を覗かせているんじゃないかと思っています。これでは、きっとまだ自分の知らない、もっとも自分らしい自分を感じることは難しいと思います。

だからこそ、すべてに通じる食において、肉や魚を“やめる”ことは、危険だと思っています。なので、最後に改めて書いておきます。

“ベジ”は制限ではなく、自由そのものです。

心身の健康と調和をテーマに、“ベジ”を中心としたライフスタイルの提案に尽力します。