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自己紹介

俺は貧しい家庭環境で育つでもなく、おやじと母(歳の差は父が+11)の長男に生まれて、妹が二人産まれて、どちらかというと裕福な家庭に育ったと思う。(周りの友人の談として)

おやじはスーツの仕立て軸にして、バブルの時は自分のブランドを立ち上げて自社生産、卸販売を行っていた。スーツがメインだったと思う。その他は、スーツに合うアイテムのデザインと販売をしていた。

その時のおれは、中学生だった。サッカーにのめり込み、市選抜、大阪を4つに分けた区選抜にも選ばれて鼻が高かったことを思い出す。

しかし、バブルは弾けて親父の仕事にも陰りが見え始めた。一社の保証人になっていて、その当事者が飛んでしまった。。そんなこと子供に話す事もなく、親父は意味のない借金を背負ったのだ。アパレルの仕事もやめて。

そんな時期に俺は、回りなど意に介せずのスタンスの高校生だった。女の子を追いかけ、服を買い、喧嘩をして青春を謳歌しているつもりだった。。

こうして思い返せば、バブル期は家の車はTOYOTA SURFの4WD最高モデルだった。その前までは、フォルクスワーゲンゴルフの赤色で二つ目。よく走った思い出。事故もあった。母が一人で運転して、俺と妹を乗せていた時だ。
詳細は覚えてない。

そう、そうして親父は仲の良い小中の少年野球チームが集まれる居酒屋の店主に転職したのだ。なぜか!自分たちには相談はない。そして、モノの見事にすぐに閉店した。
その時の車はTOYOTA マーク2 チェイサーだった。

借金は膨れ上がり、親父は慣れてない建築のボーリング作業の大手の現場員として就職して20年以上東京でビジネスホテル暮らしをしていた。そんな親父も今年で80歳になり定年になり、実家に戻り母と犬2匹と暮らしている。


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