遠い記録
私が小学生のとき、近所にお兄ちゃんが住んでいた。
名前は忘れてしまった。いつもお兄ちゃんと呼んでいたから。
学校が終わっても友だちとは遊ばず、まっすぐ帰っていた。
家に帰っても一人、宿題以外にすることなんてないのにいつもすぐに帰りたかった。
私は、家が近づくとお兄ちゃんの姿を探していた。
お兄ちゃんは写真を撮るのが好きらしく、ランドセルと黄色い帽子の私を撮ったり、家に遊びにいくとずっとカメラを首にかけてたくさん写真を撮ってくれた。
そういえば、お兄ちゃん家で何回もココアを飲んだ記憶がある。あれは冬だけだったけれど、あったかいココアにたまにマシュマロを浮かべてくれて、こたつに入って一緒に過ごしていた。
学校のことじゃなくて、考えていることを話したり、本を読んだり、宿題をしたり。ときどき勉強を教えてもらうこともあった。
たくさん写真を撮るのに、お兄ちゃんは全然写真を見せてくれなかった。
そのうちね、と言っていたが、写っているのはランドセル姿の私やお兄ちゃん家にいる私のはず。
すぐに見られるのなら見たいけど、そこまでして見たいわけじゃない。
中学生になって毎日吹奏楽部の練習があり、学校のことで頭がいっぱいになっているうちに、お兄ちゃんは遠くの大学に行くことになった。
お兄ちゃんは私の5つ年上だと、そのときにちゃんと知った気がした。
あの家は残るけど、多分私は二度と行くことはない。
お兄ちゃんやあの家、放課後の時間は、部活の友だちや忙しさ、高校の大変さを前にあっという間に過去の思い出になっていった。
成人式の日、振袖の苦しさを我慢して家に帰った私に、お母さんはまだ着替えないでと言った。本当はすぐに楽な格好になりたかった。
リビングのソファにそろりと座ると、お母さんが小さいアルバムを持ってきた。見たことがなかった。
「成人の日に渡してほしいって頼まれたの」
めき、と音を立ててめくったそこには、小学生の私がいた。当たり前のようにお兄ちゃんをすぐ近くに思った。
そうだ、ランドセルはこんな色だった。こんなこたつの模様だった。
お兄ちゃんは一枚も写っていない。全部お兄ちゃんが撮ったものだから。
全部、私よりも高い視線から撮られたものだった。
案外私は、無邪気な顔を向けていたらしい。
「知らなかった、あの頃、こんな風にしていたの」
お母さんはずっと気にしていたのだろうか。私が、放課後に誰といたのか。寂しくなかったのか。
一番最後の写真は、冬の日、多分9歳の私が宿題をしているものだった。
ノートのそばにココアが入ったマグカップ。
一瞬でココアの甘さと足元のぬくもりが鮮明になった。
もっと写真を眺めてみると、マグカップから出る湯気に気が付いた。
そのときの湯気が、写真に残されていたのだ。
確かにその日、ココアが温かかった。
写真に撮られたこの瞬間が、確かにあった。
本当は、お兄ちゃんがいなくなって寂しかった。
吹奏楽も高校生活も、楽しかったけれどお兄ちゃんがいたころとは何かが全く違っていた。
結局お兄ちゃんの写真を見ることはなかったし、あの頃の放課後は何だか夢みたいな不思議な時間だった。
でも、ここに写真がある。
確かに私はお兄ちゃんに写真を撮ってもらった。
笑顔や微妙な表情をして、黄色い帽子をかぶって、こたつに入って、宿題を広げていた私はちゃんといた。
寒い冬には、湯気が出るココアの甘さと温かさを飲んでいた。
写真の中のマグカップの上、薄く昇る湯気に触れる。
これがあれば、私は大丈夫。
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